いま、沖縄で起きていることに心を傷めない日本人はいないだろうと思う。日本の文化は歴史のはるか以前から、日本の自然が育んだものに他ならない。日本人という生物学上の分類があるわけではなく、それが文化に根拠を置いている分類である以上、その文化の根拠にある日本の自然が、米国の基地のために無残に傷つけられるのを見て平然としていられるのは日本人とは言えない。
「敗戦の当時 、 「天皇 」が死に 、また 「国 」が破れたときそのむこうからやってきたもの 、それは 「山河 」にほかならなかった 。 「国破れて 」残り 、戦に敗れても 「何の異変もおこ 」さなかった自然が 、そのむこう 、 〝天皇 〟の剝落したむこうから現われ 、ぼく達をささえたのである 。」
と、加藤典洋が書いている。
「横光君、僕は日本の山河を魂として君の後を生きていく 。」と1947年、横光利一の弔辞を述べた川端康成が、ノーベル賞受賞の記念講演で
「彼は良寛の辞世に触れて 、これは 、 「自分は形見に残すものはなにも持たぬし 、なにも残せるとは思はぬが 、自分の死後も自然はなほ美しい 、これがただ自分のこの世に残す形見になつてくれるだらう 、といふ歌であつたのです 」という 。」
高度経済成長期に、日本自然が次々に殺されていったことは言うまでもない。私が子供だった70年代は、大阪の郊外でも、秋の夕暮れの空には、赤とんぼが空を埋めるのを見ることができた。
日本人が営々と築き上げてきた繁栄を愚かしい戦争で破壊し尽くしたあげく、戦後は、今度は経済成長のために、文化のよりどころである自然を、日本人自身の手で殺してきた、その総仕上げが、いま、沖縄で行われていることである。
日本人は、いま、自分で自分を縊り殺そうとしている。それに反対しようとする人たちを「売国奴」呼ばわりしている連中がホンモノの売国奴なのはいうまでもない。
ホンモノの売国奴を目の当たりにして心塞がる思いをしない人はいないだろう。
- 作者: 加藤典洋
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