『近代以前』

近代以前 (文春学藝ライブラリー)

近代以前 (文春学藝ライブラリー)

  • 作者:江藤 淳
  • 発売日: 2013/10/18
  • メディア: 文庫

 江藤淳の『成熟と喪失』は刺さった。上野千鶴子のあとがきにもあったが、思わず目を背けたくなるほど正確で、それについて何かを書こうという気も起きなかった。
 河合隼雄が『母性社会日本の病理』を書くより早く、しかも、安岡章太郎の『海辺の光景』や小島信夫の『抱擁家族』など、小説を読み込むことで、近代以降の日本の家族が、構造として抱えることになった問題を描き出してみせたのは、ユング派の心理療法士としての臨床体験を基にした河合隼雄より、ずっと一般性があり、読者にはそこに描かれていることを「病理」と突き放して考える余裕はない。
 「読者」といっても、ここでは私のことなんだが、身分、階級、地域社会などの縛りから解放され、急速に資本主義化する社会で、豊かになる一方で、人はつねに、「ありえたかもしれない別の自分」の可能性にさいなまれることになる。なかでも、母は、核家族化のために子を育てる役割しか与えられていないために、自己実現の欲求をわが子に投影するしかない。
 自身の自我に目覚めるはるか前に、母の自己実現のよりしろとなっている子の自己実現はどのようなものになるのか、考えるだに悲惨だ。自由といっても、工業化を急ぐためという条件付きの自由では、人はこうして自己を見失う。上野千鶴子が書いているように、あまりに急速すぎた近代化は、親のようにならないことが「近代化」であり、社会的成功であるという不幸な状況を日本の家族と社会にもたらした。
 このように、深い、おそらくもっとも深いところまで透徹した認識を示しながら、しかし、江藤淳という人が、ひどく魅力的で不思議なのは、江藤淳はここに、父性原理の欠落を見てしまう。一見、正しいように見える。しかし、それだとまた振出しに戻ることにならないだろうか。
 去年、小熊英二の『民主と愛国』を読んで、そこで紹介されていた江藤淳の、フランスの実存主義者の明るさを見せつつ、同時に「日本に帰ったら靖国のそばに住みたいね」と奥さんと語り合ったという、私には不可思議な一面は、いったいどこでバランスが取れているのだろうと読み進めてみたわけだったが、『成熟と喪失』の鋭さに刺し貫かれながらも、その謎はまったく解けないままだった。
 『近代以前』は、江藤淳プリンストンから帰国したあと、『成熟と喪失』の前に書いていた連載をのちに本にまとめたものである。福田和也が編集した『江藤淳コレクション』の第四巻に抄録されていたのが面白かったので、全編を読んでみた。
 福田和也の編集では、この抄録のあとに「リアリズムの源流」の抄録がくる。これは、坪内逍遥二葉亭四迷から、高浜虚子正岡子規にいたる間に、日本語の文章が劇的に変化を遂げるさまを、実例を挙げながら的確にとらえたもので、しかも、それが虚子から、夏目漱石徳田秋声へとつながっていく。これは、つまり、坪内逍遥二葉亭四迷の小説論があり、そして、その一方で正岡子規高浜虚子の、俳諧に発端を持つ写生文があり、それが、社会の変化を間に挟みながら、今、私たちが目にしているような小説を生んでいく、と、こう書けば簡単なようだけれど、これを文学史全体の中からつかみ取るのに、どれほどの知性と胆力が必要かと思うと、感嘆せざるえない。
 『近代以前』は、藤原惺窩が関白秀次の目を逃れて明に渡ろうとするところから始まる。そして、最後の章は、上田秋成雨月物語で終わる。これも見事だし、なにより面白い。
 個人的には、わたしも本居宣長より上田秋成に味方したい。今でいえば、本居宣長はブロガーみたいなものだと思う。上田秋成は作家だ。本居宣長は、絵が嫌いだったそうだ。絵はウソだからということらしい。それでもただひとり祇園井特という絵描きだけは認めていて自分の肖像画を描かせている。祇園井特の絵にはウソがないということだったそうだが、祇園井特の絵と、当時活躍していた絵描き、円山応挙でも長澤芦雪でも曽我蕭白でも彼らの絵と比べてみれば、本居宣長の限界がもじどおり見えちゃう。と、私は思うわけだけど、それが私の限界だといわれればそれはそうでしょう。
 「国姓爺合戦と国家意識」の章は、これが1960年代に書かれたのは奇跡みたいに思う。日本人の国家意識はまさにこれだろうと、ネトウヨが「日本人、日本人」と連呼してるのを見ると、あまりに的確に予言していたようで笑ってしまう。
 何のことはない、近松門左衛門が書いた浄瑠璃の主人公が、日本人の国家意識の原型だったのである。この章を読みながら、石原莞爾を思い浮かべてしまった。彼が満州事変を引き起こした当時、「石原将軍の後ろを歩いていると弾が当たらない」と、ばかばかしいうわさが飛び交ったそうなのだ。まさに浄瑠璃か歌舞伎の世界だ。そこから、右翼もネトウヨも一歩も外に出ていない、どころか、半歩ぐらい後退しているかもしれない。
 しかし、これを書いている江藤淳という人を考えると、ますます面白い。「僧形の儒者」にヒントがあるのかもしれないと思った。仏教徒をはげしく嫌っていた林羅山が、家康に命ぜられて、あっさり出家してしまうについて、ずいぶん、強引なかばい方をしている。
 後世の儒者たちからずいぶん批判される林羅山の出家だが、そういう儒学の基礎を徳川幕府に築いたのは林羅山なんだし、批判されても「うむうむ、むべなるかな」みたいな気分だったでしょうみたいなことを書いてるけど、説得力があるように思わない。そこにほころびを感じないではない。