明治時代に「天皇制」なんて存在しなかったって知ってる?

 吉本隆明との対談で江藤淳は「明治時代には天皇制は存在していなかったと思う」と語っている。考えてみれば、明治維新の瞬間に「天皇制」なるものが存在しているはずもない。明治時代は天皇といえば明治天皇「個人」であった。それ以外のことが、国民の誰の念頭にあるはずもなかった(あったらそれは「政権転覆の企て」ですよね)。明治の元勲たちはみな侍として天皇に仕えていたのだ。
 明治天皇崩御が現実的になって初めて、個人を離れた「具体的な」制度としての天皇が意識された。大正時代はあっという間。大正元年と昭和元年にはさまれた13年だから、そうなると、事実上、国家元首としての戦前の「天皇制」は昭和天皇一代、しかも、昭和二十年の敗戦まで存在していたにすぎなかったことになる。
 昭和は64年まで続いた。つまり、昭和天皇は、大日本帝国憲法下の天皇としてより倍以上の期間を象徴天皇として生きたことになる。平成の30年と併せて、すでに70年以上の年月を、日本人は象徴天皇とすごしたことになる。
 今上天皇陛下は「象徴天皇の方が歴史的に見ても天皇の伝統に近い」と発言されたことがある。これは古くは慈円が『愚管抄』に、三種の神器のうち草薙の剣だけが、壇ノ浦の合戦で天に召されたことをさして、天皇の神権は権力ではなく権威になったとしたのが、すでに今で言う象徴天皇なのであって、大事なのは、事実、それ以降の天皇は権威として君臨して、権力を持とうとしたことすらあまりなかったこと。
 結局、日本人にとって天皇は象徴天皇だったのである。後醍醐天皇の反例はあるが、それが成功したろうか?。それに続く反例が昭和の軍事政権時代であってみれば、なぜそんな短期間の、しかも「明らかな」失敗例を「日本の伝統」と言いたがるのかよくわからない。
 現行の象徴天皇制は、天皇という日本の伝統を国際社会とどうすり合わせるかを模索する中で、悲惨な戦争をへて定着してきたなかなかスマートな制度だと思う。
 天皇を縛り首寸前まで追い込んだ制度に戻したい人がいるのは何故かな?。どうしてもそうしたいっていうなら、それなりの説明はほしいですね。