「見せしめ」という手法について

 新井浩文が逮捕されてショック。

 たしかに、風俗嬢でも、レイプはレイプだが、逆にいえば、風俗嬢と性交しても、恋愛は恋愛なわけで、そこの線引きは実際には難しい。

 だから、本来は、風俗そのものを取り締まるのがスジなんだが、そのまんま東とか、桂きん枝とか、ときどき、芸能人を見せしめに逮捕するのが、日本の警察のやり口である。

 今回、新井浩文朝鮮籍だったのも、警察の狙いだったかどうかはわからないが、被害者が風俗嬢であることはぼやかして報道しているのに、そちらは大々的に報道しているわけだから、そこにも何か意図があるのだろう。

 ちなみに、桂きん枝の場合、実際には、相手が未成年者だとわかって、何もせずに帰している。ただ、呼んだ風俗嬢が未成年者だったというだけで、しばらく干された。たぶん、そういう風に記憶されていないと思う。

 日本の報道では、警察に逮捕されると、もう犯罪者扱いだが、今回、まだ逮捕されただけで、刑が確定したわけではないので、これが犯罪かどうかわからないのに、映画の公開中止とか、テレビ番組の配信取りやめとか、警察国家の価値観にマスコミが追随していると言われても仕方ないだろう。こうしたマスコミの反応が、「見せしめ」という統治の手法を有効にしているし、それがまたマスコミの権力の源泉にもなっている。

 これはたしかに、江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したとおり。占領軍の検閲に追随したマスコミが、それによって、権力を共有したやり方そのものだ。言語空間が閉ざされたかどうかはともかく、権力の監視機関としての報道は機能していない。
 
 この国のマスコミは警察を批判することがない。事実上の警察の広報機関なので、今回のことでも、いかにも中立に見せながら、その実、煽るだけ煽ると思うが、乗せられないようにしたい。

 とくに、朝鮮籍というだけで、ムシャぶりついてる連中は、毎度のことながら、見苦しいものである。