クルド自治区ドホークについて

 高遠菜穂子さんから封筒が届いた。A4用紙で、ドサッ、までいかないけど、バサッくらいはある、イラクホープネットなどのボランティア活動の年次報告みたいなものかしらむ。
 何事かしらと思い出してみると、そういえば、チャリティーのTシャツを一枚買ったのだった。それだけのことで、こういうのを送ってくれるとは律儀なことだ。
 その報告書で、クルド自治区ドホークについて書いている<ドホークの変化>という文章が特に興味深かった。

 もともと70万人ほどの人口だったイラククルド自治区ドホークは、ピーク時で70万人を超える国内避難民を受け入れたそうなのだ。
 「国内避難民」といっても、クルド自治区にしてからが、どうなんだろう、ゲットーとまでいうと違うのかもしれないけれど、クルド人イラク人と平等に扱われてきたかというと違うとおもうのだ。それが、「ヤジディ教徒、モスル市民、クリスチャン、その他の少数派、そしてシリア難民」など、もともとの人口の倍以上の避難民を受け入れてきた。
 ピーク時で70万人というけれど、今でもまだ、帰還は進まず65万人近くがドホークのキャンプ場等で暮らしているそうだ。
 高遠菜穂子さんは、クルド人とも10年以上接してきているそうなのだが、これまでは、クルド人の苦難の歴史から、「あからさまに民族憎悪を語る人に閉口することもしばしばだった」らしいが、大量の避難民、難民が入り、それにつれて、国連や国際NGOが入り、地元の若者たちが現地スタッフとして雇われ、避難民の悲惨な状況を目撃するいっぽうで、人権意識や国際感覚を学んで、ドホークの若者たちの意識が変わっているそうなのだ。
 高遠菜穂子さんと一緒に緊急支援などを行っていたNGOのクルド人スタッフは
「この三年間(イラク第二の都市モスルがISISに支配されていた)は私たちホストコミュニティーにとっても地獄だった。経済制裁にあえぎながら、七十万人以上の難民と避難民を受け入れることは容易ではなかった。けれど、一つ良いものを手に入れたといえる。それはダイバーシティ(多様性)だ。これを真に認め合える共存社会をつくること、それがいま一番やりたいことだ」
と語って、高遠さんを驚かせたそうだ。
 「1945年の日本の空気はこんな感じだったのでしょうか?」と書いている。
 ピースセルプロジェクトというのを始めるそうだ。ドホークから何か新しいことが始まればいいなと思う。
 1945年の日本はどうだったのかわからないけれど、今の日本は「閉塞感」というにはイライラした感じもなく、鬱屈したエネルギーの胎動も感じられない、むしろ「引きこもり感」といったような委縮した空気が淀んでいる気がする。これで「美しい国」だとか「とてつもない国」とか言ってるんだからしらじらしい。
 ときどき、日本はドイツに比べて反省が足りない、なんて言われるが、それはともかく、日本はドイツに比べて、難民の受け入れが足りないのは間違いない。もちろん、難民を多く受け入れれば、軋轢を生むには違いないだろう。しかし、そのかわりに「ダイバーシティ(多様性)というよいものをひとつ手に入れた」と若者が思えるとしたら、その方がずっと喜ばしいことではないだろうか。
 自分の住んでいる町の未来に希望を感じられるドホークの若者と、東京の若者とどちらが幸せなのか、こたえはそう簡単ではないと思う。
 ところで、伊藤めぐみという人が監督した、高遠菜穂子さんのイラク人質事件のその後を撮ったドキュメンタリー映画ファルージャ』はこちらから、有料ではあるが(486円)観られるようだ。私は横浜ブルク13で観たけど衝撃的だった。

 イラクに関しては綿井健陽の『イラク チグリスに浮かぶ平和』もよいドキュメンタリーだった。