矢崎千代二、長谷川三郎とイサム・ノグチ

 ジョン・ルーリー展(ワタリウム美術館)、アンドリュー・ワイエス展(愛住館)、ギュスターヴ・モロー展(汐留ミュージアム)、アルヴァ・アアルト展(東京ステーション・ギャラリー)、ラファエル前派展(三菱一号館美術館)、千住博展(そごう美術館)、などに行ったがブログが追いつかない。
 順不同でおいおい書いていきたいと思うが、とっくに終わった展覧会で去年末、横須賀美術館でやってた「矢崎千代二 絵の旅」について、何も書かなかったのは心苦しい。私が初めて矢崎千代二を知ったのが横須賀美術館だった。横須賀出身の画家なので、所蔵品も多いのだと思う。矢崎千代二の作品を一番多く所蔵しているのは、終焉の地となった北京にある北京芸術学院で1008点を所蔵している。いつか里帰り展をやらないかなぁと期待している。
 今回再会して嬉しかったのは《ガンジス川の夏祭り》。

f:id:knockeye:20181216215812j:plain
ガンジス川の夏祭り》矢崎千代二


矢崎千代二といえば、パステルなので、これもパステルかと思っていたら、油絵でした。

 ということで、ちょっとした疑問が出てきた。いま、目にするこの絵は、実はこんな感じなんだけど、

f:id:knockeye:20181216215445j:plain
ガンジス川の夏祭り》矢崎千代二

もしかしたら、画家の最初の意図は

f:id:knockeye:20181217215203j:plainf:id:knockeye:20181216215216j:plain
ガンジス川の夏祭り》矢崎千代二

こんな具合だったかもなぁと思ってみた。

 熊谷守一の若い頃の絵で《轢死》っていう油絵を観たことがあるんだけど劣化がひどくてほぼ真っ黒になっている。油絵って、ルネッサンス頃の絵でさえ鑑賞に堪えるほどに保存されている場合が多いのに、たかだか百年にもならない前の絵がどうしてこうも劣化しているのかと考えると、そのころの日本の画材があんまりよくなかったんじゃないかと推測されて、だとすると、この矢崎千代二の絵もそうだった可能性があるなとおもわぬではない。
 矢崎千代二については、目黒区美術館で「パステル画事始め」という展覧会を観た時にちょっと詳しく書いたので、そちらも参照していただくとうれしい。面白い人だったみたい。

knockeye.hatenablog.com

 それと、これももうとっくに終わった展覧会で恐縮なんだが、横浜美術館でやっていた「イサム・ノグチと長谷川三郎」という展覧会も面白かった。イサム・ノグチについては、すこしまえにオペラシティアートギャラリーで規模の大きい回顧展があったばかりってこともあるし、箱根彫刻の森横浜美術館の常設展でよく目にしていることもあり、長谷川三郎って、あまり知らない人とコラボするキュレーションの意味がよく分からなかったせいもあり、もしかしたら、スルーしたかもしれなかったが、最寄りの美術館ということもあるので、何かのついでに立ち寄っただけなのだが、ところが、これがおもしろかった。

yokohama.art.museum

 特に、この横浜美術館学芸員さんのブログにあるフロッタージュの屏風がよかった。

 フロッタージュといえば、マックス・エルンストを思い浮かべる。でも、エルンストのフロッタージュは、案外、具象に近くないだろうか?。森に見えたり、鳥に見えたりするわけ。
 でも、長谷川三郎の場合はそうではなく、タイトルに「狂詩曲」とあるとおり、まったく即興的に、ジャクソン・ポロックを思わせる無作為な感じで図像が並んでいる。しかも、それが屏風になっている。
 これはなるほどイサム・ノグチが日本のモダニズムを解釈しなおそうとした作品群に引けを取らないものだと思ったし、この方向の作品をもっと見てみたいと思ったが、残念ながらわりと早くに亡くなったそうだ。

 書き忘れついで。こないだ書いた『マイ・ジェネレーション』というスゥィンギング・ロンドンを扱った映画には、デビッド・ホックニーも出ていた。デビッド・ホックニーはスウィギング・ロンドンの枠を超える存在になったけれど、たしかに、ビートルズローリングストーンズと同時期にアートの世界に現れたスターだった。あのころのロンドンは何なんでしょう?。
 それと、ウディ・アレンも出ていた。カメラに背を向けて、Twiggyにインタビューしている。「じゃあ、話題を変えて、好きな哲学者は誰?」なんて意地悪な質問をしている。「特にないわ、あなたはどうなの?」と逆襲されてしどろもどろになる。振り返るとウディ・アレンってオチ。