クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime

 クリスチャン・ボルタンスキーの顔は、よくみればまったくフランス人の顔だ。
 作品を初めて観たのはワタリウム美術館で、正確なタイトルは忘れたけれど、今回の展覧会で展示されている作品の中の「モニュメント」と題されているシリーズのひとつだったのだろう。モノクロームの少年の顔写真が、平面のパゴダのように配置され、そのひとつひとつを白熱電球が照らしている。タイトルも憶えていないくらいだから、作品の背景も何もわからなかったが、そのイメージは勝手にホロコーストと結びついて記憶となった。
 だから、ボルタンスキーという、ロシアかすくなくとも東欧を思わせるその姓とあいまって、この作家はどこかそのあたりの作家なんだろうと思い込んでいた。そのあと、東京都庭園美術館で開かれた個展も観たのだったが、それでもまだ彼がフランス人であることに気が付かなかった。

 彼の父がユダヤ人であることはそのとき初めて知った。だから、彼の作品がホロコーストの記憶と結びついているについては、あながち間違いではなかったのである。
 彼の父親は、パリ解放まで二年間ずっと床下に隠れていた。クリスチャンの誕生日は1944年9月21日。パリ解放のほぼ1か月後。彼をクリスチャンと名付けたのも改宗ユダヤ人だった父親だそうだ。レジスタンスの役所(と、映画の字幕はそうなっていた)に彼の出生届を届けに行った。
 
 「モニュメント」のあの写真の少年たちは、クリスチャン・ボルタンスキーの小学校の同級生だそうだ。だから、わたしが思い込みで勝手に作り上げたホロコーストのイメージは、その意味で、間違いだったともいえる。というか、最初から、勝手に思い込んだにすぎないのだから、間違ったとか、正しかったとか、そういう判定をする意味もないのだが、しかし、あの作品が遠くに響かせているホロコーストのイメージは、それで消え失せたりしない。むしろ、その問いかけはもっと深くなった気がする。
 そう気づいたからこそ、ボルタンスキーの顔がフランス人に見えたんだと思う。

 ≪黄金の海≫という作品には、エマージェンシー・ブランケットの下に敷かれている、干し草がよいにおいをさせていた。この匂いはもちろん作品の意図であるにちがいない。匂いは記憶につよく結びついていて、鑑賞者の記憶を刺激する。何の記憶というのではなく、動物としてのわたしの記憶中枢を刺激する。
 クリスチャン・ボルタンスキーが写真を多用するのは、それが記憶を固定するからだそうだ。記憶されることで、写されたもともとのものは消える。あるものを記憶として固定することで、そこにあると思い込んでいたものはもうないと気が付くのだ。
 そのような記憶の固定が芸術の行為であるとするなら、その記憶がウソかホントかには意味がない。

 この展覧会場は国立新美術館の2階だけど、地階のモニターで「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」という、Heinz Peter Schwerfelという監督の映画が流されてるので、これも観たほうがよいと思います。52分と、美術館で観るにはやや長めだが、全然退屈しない。
 その映画で、クリスチャン・ボルタンスキーが

「アートとは死を阻む試み。アートは必ず失敗する、勝てない戦いだ。全員ではないが、多くの芸術家は、そのことを楽しむ。」

と語っていた。

 福田和也が7年かけて書き上げた『奇妙な廃墟』という本を読んだ。これは、福田和也のデビュー作にして、最高傑作なのかもしれない。そういうことを言う資格はないけど、そう思いたくなる傑作評論で、このデビュー作で、福田和也江藤淳に認められた。
 「フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール」という副題がついている。その序文に、テオドール・アドルノの「アウシュヴィッツのあとで、詩を書くことは野蛮である」という言葉が紹介されている。
 この本を通読した後、もう一度序にもどって、ハイデガーツェランのエピソードを読み返さずにおれなかった。

 この映画で、クリスチャン・ボルタンスキーがドイツを訪ねる場面で、「もっとも高貴な記憶ともっとも卑劣な記憶が同居している」と、ドイツの魅力を語っていた。

 「アウシュヴィッツのあとで、詩を書くことは野蛮である」という、ほとんど越えがたい壁を、クリスチャン・ボルタンスキーは、その「野蛮」をアートで上書きすることで超えて見せたように思えた。

 岡本太郎が≪明日への神話≫で、原爆を笑ってみせたように、クリスチャン・ボルタンスキーは、ホロコーストを同級生の写真で上書きしてみせたように思える。
 すでに、それがそう見える以上、それを「冒涜だ」「野蛮だ」という非難は無効なのである。
 
 この展覧会は、クリスチャン・ボルタンスキーのほぼ全活動期を振り返る大規模な回顧展となっているので、入り口のすぐわきのスペースには、ごく若いころの映像作品が展示されている。≪咳をする男≫と≪舐める男≫、ともに1969年の作品だった。
 およそ、クリスチャン・ボルタンスキーらしくない。が、実は、おそらくは、この作品にいたるはるかまえから、闇を抱えていたことは想像に難くない。「誕生日に宿命づけられている」と映画でも語っていた。
 だからこそ、記憶をアートのメディアとして選ぶという発見が彼を飛躍させたのだと思う。
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