『東京裁判』4Kデジタルリマスター版

f:id:knockeye:20190803155808j:plain
あつぎのえいがかんkiki

 小林正樹監督は、もともと1970年に、東京裁判を題材にした劇映画を企画していて、脚本も書き上げていたそうなんだけれど、キャスティングと予算の問題で実現しなかった。
 その小林正樹がこのドキュメンタリーを撮ることになったきっかけは、東京裁判から25年を経た1973年、公文書公開法の規定だと思うが、米国立公文書館で、東京裁判の映像記録が公開されはじめた。それを機に、講談社の70周年の記念事業で、その映像をもとに映画を作ろうという話が小林正樹監督に回って来た。
 1983年、でき上がった映画は4時間37分!。しかし、もとは50万フィートを超えるフイルム、1977年に、井上勝太郎プロデューサーがアメリカから持ち帰ったフイルムは582巻だった(一切経かよ?!)。そこからさらに絞り込んだ映像が130時間だったという。5年の歳月。そんじょそこらのお散歩映画とわけが違う。実際、ぜんぜん長く感じない。
 ノイズの多い音声をヒアリングで書き起こし、それを翻訳し、全10巻、10000ページに及ぶ、日本語版裁判記録と照合した。その成果として、ベン・ブルース・ブレイクニー弁護人の
「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。・・・」
以下の発言が、「以下、同時通訳なし」とのみ記載され、記録に残っていなかったことがわかった。歴史資料としては、この映画のみで確認できるということになるのだろう。
 もともと劇映画のために、監督自身が準備していた映画は、広田弘毅を主人公に据えたものだったそうだ。文官としてただ一人絞首刑に処せられた人である。監督自身の中ですでに東京裁判観があったところに、誰も観たことのない実際の東京裁判の映像と対峙することになったわけだから、それじたいがもうドラマで、これで出来上がったものが面白くないわけがない。
 そして、今回のは4Kデジタルリマスター版で、公開当時は、所詮、1940年代の軍の記録映像だったものが、最新の技術でよみがえっているのも大きい。広田弘毅もそうだけれど、東郷茂徳重光葵木戸幸一といった、文官の無念の表情が、今年は、『日本のいちばん長い日』の新旧の映画と原作、それに、福田和也の『昭和天皇』、半藤一利の『ノモンハンの夏』と読んだせいもあって、何とも印象深く感じられた。
 半藤一利の『ノモンハンの夏』で、「お前ぐらい頭の悪いものはいなのではないか」と昭和天皇に面罵された、板垣征四郎が絞首刑に処せられたについては、ざまあみろと思うのだけれど、ただ、東京裁判で裁かれた被告人たちのほとんどは、BC級戦犯のように「戦争犯罪」で裁かれたわけではなかった。そうではなく、第二次大戦が人類史上未曽有の災厄をもたらしたために、「平和に対する罪」「人道に対する罪」を、問うべきではないかと、第二次大戦後に、事後的に、判断されたわけだった。
 だとしたら、戦勝国が敗戦国をさばくことが、「人道に対する罪」と「平和に対する罪」について、正義を回復することに資するかといえば、被告の弁護人になったベン・ブルース・ブレイクニーが陳述したように、高邁な理想を掲げながら、その実態は、戦勝国による敗戦国に対する報復にしかならない危険性を孕んでいた。
 正当性の裏付けを先送りしながら、審議が続いていく、法廷劇としてはかなりユニークにはちがいないが、だからこそ、スリリングだといえるかもしれない。オーストラリアのウィリアム・ウェッブ裁判長は、なんとしても昭和天皇を被告人にしたかったようだ。それに対して、ジョゼフ・キーナン首席検察官がそうさせまいとする、その駆け引きはもはや定説になっているが、もし天皇が裁かれていたら東京裁判は、どのようなものになったろうかと考えてみると、もし、天皇が被告席に立っていれば、多くの日本人は、この裁判を戦勝国による報復にすぎないと多寡をくくっていたかもしれない。この「たられば」は、まったく意味をなさないが、それとは逆に、昭和天皇がもし被告として何かの証言を残していれば、その後の歴史は変わっていたのかもしれない。
 いずれにせよ、皇国史観から東京裁判史観へとあっさりと乗り換えた一般の日本人は、昭和天皇を戦争の文脈から除外し、そして、また自分たち自身をも免責した。
 この映画が成立した1983年には、共産党の無謬性はとっくに神話になっていただろうが、東京裁判のころの共産党大会の演説は、今なら、ほぼヒステリックと言っていいと思う。おそらくは、1983年当時もそう見えていたはずだと思うのだが、すくなくとも、東京裁判のリアルタイムでは、光り輝いていたかもしれない。と思うと、そこに拍手喝采している人たちは、ほんのつい最近まで、「日本ヨイクニエライ国」と言ってた人たちなはずなのである。

 東京裁判は、1928年から1945までに及ぶ長い期間の戦争遂行における、様々な段階の責任者を訴追していく形で行われた。そのため、2年6か月の期間をかけても、事件の深層にまで肉薄したとは言えなかった。たとえば、石原莞爾のように、満州事変の首謀者といえる人物が被告からもれている。にもかかわらず、東京裁判で、一般の日本人は、鶴見俊輔15年戦争と呼んだ戦争の実相の一端を初めて知ることになったのだが、にもかかわらず、東京裁判以上の責任を追及しようとはしなかった。
 丸山眞男のいう「既成事実への屈伏と権限への逃避」は、東京裁判の被告たちを評した言葉でもあるが、東京裁判史観をあっさりと受け入れた、日本の大衆の精神的な態度そのものをもまた正確に表現していたのだと思った。
 なお、映画音楽を担当したのは、武満徹で、この4時間37分の映画に、全体でわずか9分、7曲の曲しか書かなかった。
 蛇足ながら、何かクッションみたいなものは用意しておいた方がいいかも。サーマレストのザブトンはオススメ。ウレタンフォームがハニカムパターンになっていて、軽量、かつ、空気が抜きやすい。丸めると、350mlのアルミ缶より小さい。私は、腰を痛めてるので、映画見る時は常携してる。途中に10分休憩はあります。