バスキア展が始まりましたね

 森アーツセンターギャラリーで、ジャン=ミシェル・バスキアの展覧会が始まった。日本初の大規模回顧展で、しかも、日本限定の展覧会、つまり、世界のどの美術館にも巡回しない、今回こっきりの展覧会。どういういきさつで実現したのか知らないけれど、ZOZOタウンの社長が一点手に入れたのが何か関係しているのかな。

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ジャン・ミシェル・バスキア≪無題≫

 バスキアとは何か?は難しい問いだと思う。で、そういう難しい問いは後回しにしておく。
 こないだみた『アートのお値段』という映画に出ていた画家のひとりジョージ・コンドは、生前のバスキアと親交があったそうだ。「バスキアが生きてたら、そんな値段になってたのかな?」みたいなことをちょっとした皮肉をこめて語っていた。

 ジョージ・コンドという画家を知らないが、その制作過程の一場面が垣間見られた。それを見たかぎりの印象としては、この人は画家だと思った。あの映画の中に出てきた人の中では、ゲルハルト・リヒター、ラリー・ブーンズ、マリリン・ミンター、ジデカ・アクーニーリ・クロスビーは、昔ながらの画家だと思った。でも、ジェフ・クーンズは違った。

 その意味でいえば、ジャン・ミシェル・バスキアは、やはり、画家なんだと思う。この翌日、ほかの美術展(横浜美術館)でアンリ・マティスを観た時、この横にバスキアの絵をおいてもいい感じだなと思った。

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ジャン・ミシェル・バスキア≪オニオンガム≫

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ジャン・ミシェル・バスキア ≪自画像≫

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ジャン・ミシェル・バスキア ≪フーイー≫

 アンフォルメルで、コラージュの要素もあり、グラフィックアートっぽい。デビッド・ホックニーと、池田満寿夫と、ベン・シャーーンを思い出させる。でも、デビッド・ホックニーほど美術史に敏感でまないし、ベン・シャーンほど社会的ではない。しかも、池田 満寿夫ほどエロくもない。
 それは、黒人として、美術史につらなることも、社会に政治的にかかわることも、性的な欲求をあらわにすることも、無意識にか、意識的にかしらないが、避けているのかもしれない。

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ジャン・ミシェル・バスキア ≪自画像≫

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ジャン・ミシェル・バスキア ≪無題≫

 アンディ・ウォーホルが亡くなった翌年に、ジャン=ミシェル・バスキアも若くして、二十代で亡くなってしまう。翌日、アンリ・マティスの絵を観ながら思った。同じようにセンスの塊のような2人だが、マティスの周りには、ピカソも、ボナールも、ヴラマンクも、ルオーも、マルケもいて、先輩には、ギュスターヴ・モロールノワールもいた。無限の選択肢からひとつの色を選ぶにも、マティスは、自分が立っている足許を疑いはしなかったと思う。
 ポロックが自分の絵を前に「これは絵なのか?」と言ったのは有名だけれど、バスキアの場合はどうだったか、そこは見えにくい気がする。

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ジャン=ミシェル・バスキア《ドローイング》