中村哲の訃報にふれて

 昨日は、仕事終わりの大戸屋で、中村哲さんの訃報にふれた。注文したカキフライが届く前に泣き、そのあとも、tweetをたどっては泣き、記事を読んでは泣き、泣くことしかできない自分が情けなくて泣いた。
 2008年に、伊藤和也さんがタリバンに拉致殺害された時も悲しかったが、あのときの犯行はあくまでも金目当てのもので、太ももを撃たれていることからも、殺害は突発的なものだったと考えてられるのに対して、今回の犯行には、同行した6人全員が殺されていることからも、決然とした殺意と、その殺意を支える強い憎悪が感じられる。
 世界がどんどん醜くなっていく。中村哲さんの訃報にアフガニスタンからもたくさんのお悔やみのtweetが寄せられていたが、ネットにつながっていないひとたちの深い悲しみに心を寄せたい。

 今月の2日の西日本新聞に寄せた中村哲さんの報告に、アフガンの中でも孤立した僻村の、村の指導者と交わした言葉が書かれていた。

 ジャンダールは年齢80歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、厳(いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あって猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。
 PMSの仕事はよく知られていた。同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残されていたからである。
 「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」
 「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」

 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた-約18年前(01年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

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 著書『医者、用水路を拓く』に書かれていたが、人災、天災で疲弊していく村の長老と言葉を交わしたとき、中村哲さんの心に浮かんだのは、足尾鉱毒事件の解決に奔走し、全財産を失って死んだ田中正造の言葉だったそうである。

毒野モ、ウカト見レバタダノ原野ナリ
涙ヲ以テ見レバ地獄の餓鬼ノミ
気力ヲ以テ見レバ竹鑓
臆病ヲ以テ見レバ疾病ノミ

年老いた農民の長老が涙ぐんで必死に乞う姿を見ると、思わず涙がこぼれた。「気力ヲ以テ見レバ竹鎗!」(田中正造)という言葉が、まるで追い詰められた者の殺意の如く、電光のように胸の内をよぎった。

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む

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 中村哲田中正造たらんとしたのだった。村人たちと交わした信義に誠実を貫いた。
 ペシャワール会によると、あと20年は続けると言っていたそうで、志半ばで命を絶たれた。無念で言葉もない。