『すばらしき世界』ちょっとネタばれ

 『永い言い訳』から五年ぶりとなる、西川美和監督の最新作。
 真木よう子が『ゆれる』のオーディションのとき、可愛い女の子が部屋に入ってきたのでにらんだらそれが西川美和監督だったとか。西川美和監督の方では「見つけた」と思ったそうだ。
 西川美和監督のキャスティングは抜群に上手いと思う。『ディア・ドクター』の笑福亭鶴瓶、『永い言い訳』の竹原ピストル
 今回は、役所広司役所広司なくしては成立しなかったと思わせる。シナリオの文字情報だけでは伝わらない機微が役所広司が演じると伝わる。是枝裕和の『三度目の殺人』もすごかったけれど、この人はやっぱりすごい役者さんなんだなと納得させられる。
 佐木隆三の小説『身分帳』を原作にしている。『身分帳』は絶版になっていたのが、この映画化を機に再販されたそうだ。
 
 井筒和幸監督の『無頼』のやくざとどこか似ていて、現在の映画的ヤクザ像はこんなものかと。ヤクザが生きにくい世の中に何の異存もないが、ヤクザが生きにくければ、一般人は生きやすいはずなんだが、一般人も同じく生きにくいってのはなかなか変な世の中。 
 『生きちゃった』に主演した仲野太賀もすばらしい。『ディア・ドクター』の永山瑛太を思いださせる。仲野太賀の演じるツノダさんは元テレビのスタッフで今は小説家を目指している。長澤まさみの演じるヨシザワさんというテレビ局の元上司から、三上(役所広司)の取材をもちかけられる。
 でも、逃げちゃうんだ。三上とチンピラのけんかシーンにでくわして。で、ヨシザワから「逃げてどうする?。止めに入るか、カメラを回すか、どっちかだろ」と至極ごもっともなことを言われて、テレビの取材はおしまいになる。
 もともと三上がテレビにコンタクトをとったのは生き別れた母親をさがしてほしいってことだったから、ツノダさんはそっちにつきあうことにするんだ。
 で、なんだかんだがあって(そのなんだかんだが映画の中身なんでそこは言わない)、ツノダさんがヨシザワさんに電話をする。
 ヨシザワさん「まだやってるの?。困るんじゃないの?社会復帰されたら。」
ここでヨシザワさんが「困る」って言ってるのは小説にならないんじゃないの?って意味なのである。
 ツノダさん「大丈夫です。書きます」
 って言ってたんだけど、三上は持病があって死んじゃうんです。
 駆け付けたツノダさんが発する「困る」って言葉は、小説が書けなくて困るって意味ではなくて、三上に生きてくれてなきゃ困るって意味なんですけど、「誰かに生きていてほしい」と思う気持ちは理屈でわりきれないところがあるようですね。
 言い換えれば、つながりを持ちたいと思っている人たちの映画だと言えると思います。そういう価値観に対立しているのは長澤まさみのヨシザワさんくらい。その背後には顔のない世間があるわけですけれども。ヨシザワさんがTVプロデューサーであることは象徴的かもしれません。
 多分、佐木隆三が原作を書いた頃には、「社会復帰」がテーマだったと思うんです。でも、それから30年経った今は、復帰すべき社会が壊れてしまっている。だから、この主人公が取り戻そうと足掻いているものは、同時に社会の人たちも取り戻したいと思っているものでもある。
 だから、三上が死んでしまうと、関わっていた人たちはみんな途方に暮れてしまう。三上の社会復帰に知らず知らずこの社会の再生を託していたことに気がつくわけです。
 三上が刑務所に入る前まで暮らしていた女性を訪ねるシーンも印象的でした。結局、不在で会えなかったのですが、小学生の女の子とでくわします。その子は、どうも三上の子らしいと彼は察します。しかし、何も言わずにその場を去ります。
 このシーンが印象的なのは『SWALLOW』と相前後して観たから。『SWALLOW』の旦那さんは「愛してる」と軽々しく口にしていたのですが、最後に主人公に言ったことばは「俺の子を返せ!」だった。1%の富裕層である彼にとって、彼自身が両親から求められている立場もそういうことにすぎないし、彼が妻や子に対して抱きうる愛はその価値観の外には出られないのも当然なことでした。
 『SWALLOW』の旦那さんは自分自身を疎外している。もう人間じゃない。『SWALLOW』の主人公が、玉の輿に乗ったと思って飛び込んだ世界はそんな世界だった。『すばらしき世界』と世界が逆転しているのが面白いと思いました。

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すばらしき世界

『SWALLOW』は最強の女性映画

 フライヤーにあるような「スリラー」とか「恐怖」とかいう言葉でこの映画を評することは、どこか女性蔑視を思わせる。
 「恐怖」?。たしかに主人公の旦那さんリッチーの視点に立てば「恐怖」とか、少し冗談めかして「スリラー」と言えるのかもしれない。女房に向かっては「愛」といいつつ、振り向いて会社の同僚には「恐怖」というそんな程度の重みしかない言葉だろう。
 この映画のアメリカでの評価は(ロッテントマトでは支持率88%と高い)興収の面では参考にならないかもしれない。2020年の3月27日に全米でもたった3館で公開され始めたばかりだった。その後のコロナの猛威を考えると、ちゃんと評価されなくても仕方なかったのではないか。とにかく「スリラー」ではない。呼び込み用にしてもその評価はひどい。
 ラストシーンが女性用トイレの固定カメラなんて感動的としか言いようがない。
 監督、脚本は、これが長編デビュー作のカーロ・ミラベラ=デイヴィス。フリーダ・カーロを連想してうっかり女性かと勘違いしていたが、髭面のおとこだったのでむしろびっくりした。『詩人の恋』のキム・ヤンヒもあれがデビュー作だったが、この監督はぜったい女性だろうと思った。しかし、この映画の脚本・監督が男性とは頼もしいというしかない。
 モチーフになっている異食症は、妊婦には見られることがある症状だそうで、主人公の妊娠を義父母に報告に行ったディナーの席でそれがはじまる。その時は氷にすぎなくて、これは異食症なんてことばは知らないでも、妊婦さんならこういうことありそうだな、くらいの感じなのである。それが次第に主人公のもがきに見えてくる。緊迫感の募る演出がすごい。
 主人公の置かれている条件さえ違えば、笑い話にすぎなかったかもしれないありがちな症状が、1%と言われる裕福な旦那の家族の差別と疎外、そして主人公の自己評価の低さを浮き彫りにしていく。
 カーロ・ミラベラ=デイビス監督の祖母が実際に神経脅迫症で、『淵に立つ』の筒井真理子みたく、しきりに手を洗っていたことからこの映画を発想したそうだ。ちなみにこの人はサンダンス映画祭出身だそうだ。サンダンス映画祭ってやっぱり信頼できる。
 主人公のハンターを演じたヘイリー・ベネットが製作総指揮を兼ねているのも素晴らしい。女性の自立を描いた映画としてここまで共感できる映画はそうそうない。
 議事堂襲撃事件なんかの後にこういうのを観るとホッとする。
 あつぎのえいがかんkikiは、今週『燃ゆる女の肖像』、『詩人の恋』と名作揃い。お近くの方はオススメ。

ミャンマーの政変について重要なTweetがあったので紹介します

 コロナが中国の細菌兵器でなかったことは科学的に確からしいが、中国はこのコロナ禍を軍事的な好機として利用する。それは当然なことで、「細菌兵器」云々の幼稚な議論とはそれは別次元のことだ。
 今回のミャンマーの政変が、ASEANと中国、日中関係、ひいては日米同盟までを揺るがしかねない大きな問題だという指摘。
 特に、最近の経済交流のおかげで、日本にはミャンマーの人が多く暮らしている。この人たちの暮らしがどうなるのか、細やかな対応が必要になるはずだと思う。
 日本はアメリカのバイデン政権と協調してアウンサンスーチー氏の即時釈放を実現すべきだ。
 こういう時に、世界に紹介される日本のニュースが元首相の女性蔑視とは。まともなステイツマンが存在しない国の情けなさを実感する。

www.afpbb.com

mainichi.jp

統帥権干犯問題

 「野党の途中退席で陛下の内奏遅れる」というバカみたいな記事が産経新聞に載った。「だから?」ってことなのだ。陛下への内奏が遅れないように国会の議論を早目に切り上げろとでも言いたいのか?。それとも、天皇陛下が、内奏が遅れるのはけしからんと、国会のありかたにものを申したとでも仄めかしているのか?。
 あいも変わらぬ「天皇の政治利用」に呆れてしまう。 
 奇しくも週刊文春に連載中の「出口治明の0から学ぶ「日本史」講義」に「統帥権干犯問題」が取り上げられたばかりだったので感慨深い。というほど遠い気持ちではなく、何かもっと皮膚感覚として気持ちが悪い。
 統帥権干犯問題についてはここに書いた。統帥権干犯問題は、日本を立憲君主国から軍事独裁国へと転換させた元凶だった。
 統帥権干犯問題は、醜悪で愚劣としか言いようのない妄言にすぎないし、当事者もそれは内心わかっていたはずなのである。そういう妄言を権謀術数のために、当時の政治家が弄んだがために、未熟な政党政治軍国主義に席巻されてしまった。その急先鋒が鳩山一郎という人だったし、黒幕は北一輝という法華経信者だった。政治のプレーヤーは、21世紀の現代とあまり変わらない気がするのだがどうだろうか?。
 統帥権干犯問題については、リンクした記事に書いた以上のことは書けないが、あの記事では「日本に不利な軍縮」と書いたが、今度の出口治明の記事を読んでますます呆れたのは、ロンドン軍縮の米英10に対して日本6.95という比率は、むしろ、日本に有利でさえあったという。なぜなら、アメリカのGDPは日本の5倍だったのだから、GDPの比率どおりであれば、10対2であってもおかしくないものを10対7に抑制することができた。しかも、アメリカ海軍は太平洋だけでなく大西洋にも海軍を配置しなければならないので。
 つまり、日本に不利だったわけでもなく、統帥権干犯などではもちろんない、そもそも何でもないことを政争の具として利用した。そのことで、政治家自身が政党政治の息の根を止めたのだった。
 ロンドン軍縮会議の1930年に当時の首相、浜口雄幸が右翼に狙撃される。翌31年には陸軍によるクーデター未遂事件(三月事件)が起こる。そして、その年の九月に板垣征四郎石原莞爾柳条湖事件によって満州事変の口火が切られた。
 柳条湖事件を受けた閣議では、幣原外相が「現地の軍部の策謀」と報告。若槻首相は軍に行動停止を命じた。ところが林銑十郎司令官はこれに背いて勝手に軍を動かした。
 軍を動かすには内閣の承認と天皇の命令が必要であるにもかかわらず、勝手に軍を動かした。これは、ロンドン軍縮会議とは違って、明確に「統帥権干犯」である。ところが若槻禮次郎は、この明白な軍規違反をズルズルと追認してしまった。
 陸軍は全国で1800回以上の講演会を開いて国民を煽った。そして国民もこれに乗せられた。それがのちの五・一五や二・二六につながっていく。
 あっというまに政党政治が終焉を迎えてしまった。その天皇の政治利用の歴史を知りながら、「野党の途中退席で陛下の内奏遅れる」などという愚にもつかない記事をよく書けたものだ。
 当時のマスコミは何をやってたのだろうか?。新聞社こそ戦争責任をまったくとっていないので、21世紀の今になって、こんなことを繰り返すのだろう。

野党の途中退席で陛下の内奏遅れる - 産経ニュース

ロンドン軍縮会議の結果を「統帥権干犯」と騒ぎ立てた軍部のやり方をまた繰り返している。これが今でもまだ有効なら日本人にちょっと驚くね。

2021/02/11 06:41

『無頼』観ました

 あつぎのえいがかんkikiに『無頼』を観に行ったら、井筒和幸監督が、フライヤーを置いてるテーブルの前にふつうに立っててビビった。舞台挨拶があるとは知ってたけど、うっかり出くわしたらビビるよ。
 ほんとは木下ほうかさんも来る予定があったそうなんだけど、他の撮影が長引いて来れなくなったそうだった。という電話を誰かがしているのが、たまたま耳に入った。「そんな慌ててとばして事故でも起こったら大変だから…」と言ってました。木下ほうかさんは、『ガキ帝国』デビューなので、ほんとは来たかったんだろうと思います。
 そういうわけで、舞台挨拶は井筒監督ひとりトークになったので大変そうでした。そこは、でもTVでも場数を踏んでる井筒監督なので持ち前のサービス精神を発揮されてました。撮影可だと知ってたらカメラを持っていったんだけど。
 こないだは福岡で舞台挨拶をしたそう。通例なら舞台挨拶は東京と大阪でやれば終わりなんだとか。それが今回は、コロナ禍のご時世もあり、また、ヤクザ映画ってこともあり、大手の映画館が上映してくれないみたいで大変みたい。
 マーティン・スコセッシの『アイリッシュマン』が批判されたって話は聞かないが、Netflixだからか。しかし、ヤクザ映画だからダメとかいう自己検閲が、表現の自由を制限するのはまずい。日本会議系の議員が国旗の損壊を刑法で処罰するために法改正しようとしているらしいが、フランスでは、デモがあると三色旗に火をつけて踏みつけにする、とエマニュエル・トッドが言ってました。彼らは血で血を洗う宗教戦争の末に表現の自由にたどり着いた。国旗損壊が罪だなんて、原爆ふたつも落とされてまだそんな寝言とは、お気楽なものだ。
 映画中映画で『仁義なき戦い』を再現してるのが話題になってる。井筒監督は1973年のお正月に『仁義なき戦い』にであって以来、ずっと頭の片隅にこの映画があったそうです。ずっと不良を描いてきたので、いつかはヤクザを描きたかったと言ってました。そう言われてみると、井筒監督のヤクザ映画はないのですかね。『二代目はクリスチャン』と『ゲロッパ』は、ほなヤクザ映画とは違うか?。
 というまぜっかえしは余計なことで、たしかに、こういうストレートに叙事詩的なヤクザ映画ははじめての試み。終戦直後から現代までを一息に描き切るわけなので、『仁義なき戦い』のようでもあり『フォレスト・ガンプ』のようでもある。
 2001年.9.11、ワールドトレードセンターにアルカイダが突っ込むシーンを、テレビで見ているヤクザたちの不謹慎な面差しが印象的だった。
 あれはいったい何だったんだろうと今更クビを傾げてしまう。ジョージ・W・ブッシュが言った「テロとの戦い」は、当時から胡散臭かった。世界全体がその胡散臭い正義にいやいやながらも付き合った。その後、オバマウサマ・ビン・ラディンを暗殺したんだが、暗殺できるなら、生きて捕まえられただろうし、殺したとしても、せめて遺体くらい公開してもよさそうなものだ。
 ジョージ・W・ブッシュの胡散臭い正義を劣化コピーし続けた結果がQ-anonで、彼らは「USA、USA」と連呼しながら連邦議会に乱入した。愛国者の群れは笑えるね。
 アメリカの愛国者といえば、一昔前のイメージは

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アンドリュー・ワイエス愛国者

こんな感じ。いまは、

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q-anonの愛国者

こんな感じ。
 「正義を語るな、無頼を生きろ」というキャッチコピーは、意外に切実に響いた。実に、正義は語りやすく、無頼は行いがたいってことか。
 松本利夫と柳ゆり菜というキャスティングは、一面EXILE映画でもある。柳ゆり菜はグラビアよりスクリーンの方が映える気がした。
 

【閲覧注意】映画『無頼』本編映像初公開【超過激】

キネマ旬報ベストテン

 今年はコロナ禍の影響から、史上初の試みで、キネマ旬報ベストテンの授賞式がYouTubeライブ配信されていた。
 やっばり、日本ではアカデミー賞より断然こちらが信頼できる。
 2020年の作品部門1位は黒沢清監督の『スパイの妻』だった。脚本賞とダブル受賞。
 ところが、この映画を私はまだ観られていない。観るつもりだった日があまりに寒々しくて、例の第2派の自粛要請と重なったせいもありうだうだしてたら、「え」と言う速さで公開が終わってた。話題になっていた映画だったのでちょっと驚いた。
 佐久間宣行もオールナイトニッポン0で「去年観た映画でいちばん面白かった」と言ってた。でも、この映画、日本アカデミー賞にはノミネートもされてない。なんか細かな規定に抵触したらしい。佐久間宣行の解説だと、先にテレビ版がNHKで放送されたからとか、なんかそういうことだったそうだが、いずれにせよ、どっちかというと日本アカデミーの方の評価が下がる決定なんじゃないかなと思う。
 各部門いちいち予想しながら観ていた。水川まさみの主演女優賞だけは当たった。『喜劇 愛妻物語』、『滑走路』の2作品で受賞しているが、加えて『ミッドナイトスワン』にもヒロインの母親役で出てますし、去年の活躍は素晴らしかった。特に『滑走路』の、男と別れる時のセリフがすごかった。あのセリフが、ラストの少女時代の別れのシーンと響き合う。あの少年の思いが伝わって、あのときの少女がこんなに強くなった、というと時系列でおかしいんだけど、あのシーンを後ろに持って来た脚本がやっぱり秀逸だったと思う。
 『スパイの妻』はなんとか観たい。この受賞きっかけでどこかで上映してくれるんじゃないかと期待する。じゃなきゃ、新宿ピカデリーまで行かなきゃならないけど、このご時世だからなあ。

【公式】『2020年第94回キネマ旬報ベスト・テン表彰式』2021年2月4日(木)開催

「ははばなれ」

春、死なん

春、死なん

 紗倉まなの『春、死なん』にカップリングされている「ははばなれ」も読んだ。 
 それで思い出したけど、これって、アリス・マンローとか、グレイス・ペイリーとか、ルシア・ベルリンとかそういう読後感じゃないだろうか。もうちょいたくさん読みたい気になった。

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