『帰ってきた宮田バスターズ(株)』

 『帰ってきた宮田バスターズ(株)』って映画を観たら、たまたま舞台挨拶みたいなことがあった。監督と女優さんとナゾのトカゲみたいな人(映画『FRANK』みたいなノリの)がしれーっと始めたのだった。フツーは司会がいると思うんだけど、司会なしでなんとなくやっちゃうのが如何にもアングラっぽくてよい。
 チケットを買った時に「挨拶がありますよ」と聞いていたのでカメラを持ってきてたのだが、撮るべきか撮っていいのか迷っているうちになんとなくカメラを取り出しにくくなってしまった。
 もともとこの監督が19歳の時に撮った短編の拡大版だそう。その監督が今いくつなのかというと23歳だそうなのだ。まぶしくて泣きそう。
 自主制作でSFってのが珍しい。Amazonプライムに若き日の庵野秀明が主演した『帰ってきたウルトラマン』がアップされてる。当時と違って今はPCでやれることも多いのだろうけれども、それにしても低予算ぶりはよく伝わる。それでも、というか、それ故にというか、センスが如実に現れる。
 この映画ももうちょっとお金があれば映像的な魅力は増したんだろうなと思う部分は多々あるんだけれども、例えば、タンクくんの動きとかもっと可愛くなったかもとか思うが、でも、お金をかけたとて『アバター』なんかは別にみたくもならないんだし、と考えているうちに、千利休に連想が飛んで、利休が侘茶を始めたのもそんな気分だったかもなと思った。中国の端正な磁器も手に入れられたにちがいないが、井戸の茶碗なんていう朝鮮の雑器の方に魅了されてしまった。映画評があふれかえる時代にこういう映画に出くわすとうれしくなってしまう。
 脚本(というかネームと言いたくなる)は、骨格がしっかりしていてオリジナリティがある。それに時代性を反映して、切なくなる。パンフレットの監督談によると、社用車が壁をぶち破ってくる、あの場面が撮りたいってところからシナリオを立ち上げたそうで、だとすると、この時代性のイリュージョンは大したものだと思う。
 たとえば、ヨーロッパ企画の『曲がれスプーン』『サマータイムマシンブルース』など小劇団SFという意味では似てるとも言えるが、主人公が冴えない中年という、中小企業的というか、東大阪的っていうか、そういう泥臭さは違う。
 他の下北沢的な青春映画とも違い、思わぬところから飛んできたパンチに面食らった。
 この映画はワークショップでもなく、卒業制作でもなく、単に趣味で集まって作られたのだそうだ。昔、ノーラ・エフロンが映画監督はパーティーのホストみたいなものと言っていたけど、映画を作るってだけ、それ以外に何の見返りもない中、これをやっちゃう人たちは尊敬しちゃう。
 低予算だから良いってことにはならないが、そういう判官贔屓を抜きにしても、『アバター』と『宮田バスターズ』とどちらを人に勧めるかって言われたら、やっぱりこっちを勧めるんじゃないかなと思う。こっちの方が楽しくない?。作り手が楽しんでるのが伝わります。

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帝銀事件 74年目の真相

 ラジオばかり聴いている中毒状態みたいな一時期もあったが、いつのまにか番組がしぼられてきて、熱心に聴くのは、伊集院光バナナマン、オードリーくらいか。おぎやはぎは、ますださんが亡くなったのがショックで聞けなくなってしまった。木曜日はナインティナインマヂカルラブリーとラジオデーだったんだが。
 で、お正月に伊集院光を聞いていたら、NHKのドキュメンタリーで帝銀事件を扱ったのを紹介していた。伊集院さんのは、チラッとそういうのが混じるのがよいのだ。

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 帝銀事件を知らない人はwikiでも参照してもらえばよい。その後、日本警察が量産する冤罪事件のひとつである。
 今回発見された映像で、平沢貞通氏がそもそも犯行の場面を再現できていないことがわかる。それよりも、当時の捜査メモによると、警察は、犯人が残した名刺から、別の有力な容疑者を特定していたこともわかった。
 犯行に使用された毒物すら実は特定できていなかったと聞いて、あいかわらずの杜撰さに呆れるけれど、くだんの名刺からたどり着いた容疑者が731部隊のひとりであって、事件に使われた毒物はそこで開発されたものらしいとまで推定されていたのは驚きだった。
 731部隊について知らない人はwikiでも参照して貰えばよい。731部隊帝銀事件がつながっていたとは。
 帝銀事件の当時は731部隊の実態について知られていなかった。戦後、731部隊生物兵器を米ソで奪い合った結果、戦争犯罪者である彼らは裁判にかけられることもなく生き延びた。
 毒物の一部は、終戦の混乱で万が一の自害用に末端の兵士の手に渡っていた。当時の捜査で帝銀事件の毒物は、それだと考えられていたが、731部隊の実態を公表したくない占領軍が捜査にストップをかけた。それで迷宮入りになっていれば日本警察もバカにされなかっただろうが、ちゃんと冤罪をでっちあげるところが日本警察が日本警察である所以。
 しかし、まだ当時の日本が米軍支配下にあったからこそ、こういう資料が発表されるのだろう。現代日本の官僚組織は、資料を作らず、残さず、っていう態度なので、官僚組織は終戦のころよりさらに劣化しているといえるだろう。
 ところで、今回の映像の中に、米軍将校相手にやにさがっている服部卓四郎の映像が出てきた。またこいつかって感じ。とにかく、戦争犯罪の話題になると必ず顔を出すという印象。
 この辺の闇がスルーされたまま現在に連続している感じは実に気持ち悪い。戦犯がなぜか裁かれずにぬくぬくと生きている感じは、安倍晋三までつながるわけで、安倍晋三暗殺は、日本社会の自浄作用としては、歴史的な視点から鳥瞰すれば、ごくごく当然だろうと思う。

『ザリガニの鳴くところ』

 映画も公開されている。なんともそそられるタイトルだけれども、どうもアメリカのベストセラー小説の映画化だそうで、となると、映画が良いにせよ、たぶん原作は超えないだろうと思ったので、小説を読んでみた。
 日本人が読んでも面白いけれど、これがアメリカで大ヒットする理由もわかる気がした。 
 舞台は近過去、だいたい1950から1970くらい。なんだけれども、主人公の少女(湿地の少女と呼ばれていた)は、ホワイト・トラッシュと呼ばれる白人貧困層の少女で、これはその頃よりも現代のアメリカでこそ切実な問題だと思う。
 それに加えて、両親に去られた少女がサバイブしてゆく湿地やラグーンが、そのあと急激に環境破壊にさらされることになるアメリカの原風景のひとつであること。
 そして、彼女のぎりぎりの生活を陰ながら支えるのが、カラード・タウン(という場所は流石に今はないのだろうと思うが)の黒人夫婦であり、彼らに加えられる日常的な差別もまた、アメリカの原風景とからみあって、痛みとしてそこにあり続けていること。
 そしてもうひとつは、にもかかわらず、一方では、何とか彼女を支えようとする、コミュニティの健全さが描かれていること。コミュニティが社会正義の回復の可能性に希望を持たせてくれることだろう。
 つまり、拡大するばかりの貧困と分断のルーツを目の当たりにさせられながらも、アメリカ社会のコミュニティの感覚を想起させてくれる。天秤の片方の皿に苦すぎる現実、片方の皿にはその同じ重さの希望。どちらかがどちらかに打ち克つわけではない状況で提示しているのがうまい。
 だから、最後のどんでん返しは、その天秤のちょうど支点として、なんとも言えない余韻を残す。単に驚かしてやろうという結末ではない。
 結末を知っても、その支点の部分は、善悪のどちらにも傾かないのは、そこまでの描き方が周到で丁寧だからだ。
 最後の一点がなくても、よくできた法廷劇だったかも知れないが、その一点があるからこそ、この小説世界が、倫理の対立を内包する包括的な世界として独立する。
 少女の性的な成長の官能的な描写も素晴らしい。作者は70代の女性生物学者で、しかもこれが初の小説作品だと聞いて驚かざるえない。ラグーンに生息する生物の描写は彼女の専門な訳だけれど、ほとんどそれと同じ正確さで主人公を始め、人間たちを描いている。
 一方にホタルやカモメのイキイキとした描写があるからこそ、主人公の行動に決定的な説得力が生まれている。
 過去と現在を行き来する章立ての仕方も見事だと思う。映画がこれをどう描いたかわからないが、この小説の構造を超えるのは相当に難しいだろうと思う。

今さらM-1のヨネダ2000

 2022年M-1のヨネダ2000を見ていてメンバメイを思い出した。ってことを書こうとして、一応検索してみたら、能町みね子が何かTweetしていた。
 メンバメイってのはじつは略称で、正式にはメンバメイコボルスミ11という女性コンビで、当時、ダウンタウンと人気を二分していた。
 というと、バチバチ競い合ってたように聞こえるが、そうではなく、ダウンタウン的なるものとメンバメイ的なるものは本質的に違って、メンバメイは女の子に大人気だったのである。
 ダウンタウンの革新性は当時から揺るぎなかったが、なんだかんだ言っても、ダウンタウンの背後には、漫才の歴史が見えていた。膨大な漫才の教養を感じたわけ。
 これに対してメンバメイは、シュールというのも違い、シュールレアリズムも美術史の1ページなのだから、そう言うことではなく、全く特異的な存在だった。当時まだ10代で、そして同世代の女の子にはダウンタウンを上回る人気を得ていた。
 にもかかわらず、気が付いたらあっさり消えていた。他のすべての少女的なるものと同じように一瞬のきらめきだけで消えてしまった。当時の大阪には、少女だけが共有するお笑い文化があったことになる。
 今年のヨネダ2000を見ていてそれを思い出した。ウエストランドのネタではないけれど、お笑いオタクは評価に困るに違いない。そう言う文法の外側にも笑いはある。
 年々、賞レースのレベルが上がっていて、純文学的ならぬ純漫才的な評価をすれば、カベポスター、ロングコートダディさや香のレベルの方がウエストランドより高かったと思われる。審査員の中でいちばん漫才師としての純度が高い博多大吉さんがさや香を選んだのは当然だと思う。
 でも、結局、それを越えてウエストランドを選んじゃうのが芸人のさがなんだろう。ショーとしても、おととしのM-1で爪痕を残せなかったウエストランドがリベンジを果たすのもドラマだし(特に河本さんにとっての)、M-1の番宣動画で、準決勝で敗退したオズワルド伊藤とウエストランド井口が交わした会話の回収としても見事に決まった。
 単なる漫才コンテスト以上のドラマを演じてみせられるコンビがいれば、彼らがチャンピオンにふさわしい。
 ただ、ヨネダ2000は、そのさらに外側にいる。圧倒的に面白い。しかし、どう評価していいかわからないわけである。メンバメイみたいに消えて欲しくないなと思った。
 今は、メンバメイの当時と違って、自分たちで客を開拓できる時代なので、東京03のように、ヨネダ2000的なるコミュニティを作ってほしいと思う。それを求めているファンがいるはずだろうし、たぶんそれはほかの芸人には作れないコミュニティだろうと思う。


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https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/culture-news/a38078476/mineko-noumachi-female-stand-up-comedy-211029-hbr/

『MEN 同じ顔の男たち』ネタバレ

『MEN 同じ顔の男たち』

 アレックス・ガーランド監督って人は独特の世界観で、監督デビュー作の『エクス・マキナ』は優品だった。アリシア・ヴィキャンダルもあれが一番印象的だったのではないか。というのは、本当に作り物みたいに綺麗なので。『トゥームレイダー』にはちょっと華奢すぎたと思う。
 『MEN』もユニークな映画。あらすじだけ言っても何も伝わらないんだけど、旦那を亡くしたばかりの女性が、田舎で休暇を過ごそうとするが、そこで不思議な体験をする。
 ラストシーンが不穏でよかった。何が何かわからなくて胸が騒ぐ感じ。どこか後ろめたく、露わにされたくない気持ち。配偶者の自殺(あるいは、もしかしたら事故)が罪悪感を抱かせるとしたら、その罪悪感の正体って何だろうかって話。
 タイトルが示すとおり、主人公が訪れた村の男たちはみんな同じ顔をしている。つかこうへいのたしか『寝取られ宗介』だったと思うけど『蒲田行進曲』かも。主人公が旦那の実家に帰ったら親戚がみんな旦那とおんなじ顔をしていたってのがあった。
 都会で見ていると個性に感じられたことが、実は、集団の属性にすぎなかったって知らされる、それがなぜゾッとするのか、うっかり口にすると差別表現になりそう。
 教会の神父に相談するシーンは、そのあたり示唆的で、田舎の教会の神父って、イメージだと酸いも甘いも噛み分けた含蓄のある答えをしてくれそうじゃないですか?。ところが、この同じ顔した神父は、Yahooコメントにありそうなうすっぺらな正義感で、傷口に塩をむりこぬようなことを言う。
 美しい田舎の風景にまぎれこんでいる同じ顔の男たちは、確かに怖いんだけど、むしろ不快と言った方が正しい気がする。現に、彼らが超自然的な姿(このCGはすごい)をあらわす段階になると、主人公はもう怖れなくなっている。
 この不快感は虫の不快感に似ている。気持ち悪いムシ。だから、そこで終わっちゃうと、「何だかな」ってかんじだったかもしれない。
 だから、ラストはうまいと思った。それまで事あるごとにスカイプか何かネットでチャットしていた女友達が心配して駆けつけてくれる。その彼女が臨月近いお腹をしているのがそこで初めてわかる。何故かうげっとなる。
 田舎の自然は美しいけれど、同時に私たち自身も生命に引き戻される。種に引き戻される。都会で成功しているらしいこの女性が、他の性、他の社会に直面するとき、露わになるのが弱さではなく、断絶であるところが面白い。最後には結局、主人公が勝ってしまう。しかし、その勝利にはさして意味がない。変なムシを叩き潰したってだけなのである。
 彼女は彼女自身の内面の弱さに打ち勝ったわけでもない。友人が訪ねてきた朝に、ちゃんと血の痕が残っている。彼女の内面のドラマではないのだ。
 彼女は得体の知れない「MEN」には打ち勝ったけれど、しかも容易く打ち勝ったのだけれども、それでは変わらない。何が変わらないかと言えば、そこに彼女自身も所属する社会が変わらない。そして、その社会を再生産していく装置としてしか(そんな発言をした政治家がいた)女が役割を与えられていない、古い社会を変えていくビジョンも持てない。その無力感がラストに現れている。
 ホラーと見せつつ、途中で怖くなくなって、それよりも遥かに深刻な気分に落ち込む。アレックス・ガーランド監督はかなりユニークな作家らしい。


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サントリー美術館

 サントリー美術館で嫌な思いをしたので書くのだ。こういうのはあまり書がないけど、嫌なことってのは単純に書きやすい。しばらく書いてなかったのでこういうので始めるのもどうかと思うがちょっとショックだったので書いておくことにした。どうせ大して読んでないし。
 京都の智積院の名品展で、撮影禁止だった。そりゃまあ別にフツーなんだけれども、6Fにフォトスポットがありますってことだったので、カメラを携行しました。そりゃそうでしょう?。1Fが入口、2F、3Fが展示室、6Fがフォトスポットなら携行するでしょう。
 いつも通り手首にストラップをつけてカメラをぶら下げてました。3Fの展示室を過ぎ、2Fの展示室に入ると、係の人が来て、
「カメラは持ち込み禁止ですので・・・」
というわけ。一瞬何を言われてるのかわからなかった。
 まず、そもそも撮影禁止ではあるけど持ち込み禁止ではないわけ。持ち込み禁止なら1Fで止められるでしょ。

 まあでも、持ち込み禁止って言うなら、しょうがないんでそいつにカメラを渡そうとしたわけ。そしたら、受け取ろうとしない。
 「ポケットに入れてください」って言うわけ。じゃあ、持ち込み許可してるじゃねえか。そもそも、持ち込み禁止ではないものをてめえの判断で勝手に持ち込み禁止って言って、それに従おうとしたら、預かるのはめんどくさいのか、持っといてくださいって。
 あのさ、手首にぶら下げてる時点で、撮影しませんって言う意思表示なのよ。盗撮する気があったらいくらでも方法あるだろ?。ポケットに入れてる方がむしろ盗撮できるだろ?。
 あの男がなぜあんなことを言ったのか訳がわからないけど、六本木のど真ん中のサントリー美術館でそれっていうのがけっこう衝撃で、この手の人間がこれから増えていくんだろうなって気がした。
 てめえの快不快で勝手にルールを書き換えて、仕方なくそれに従おうとすると、すぐに手のひらを返して、じゃあ持ってろって。口調が丁寧なだけでやってることは「ヤカラ」だから。
 何がショックだったのかあまり美術館に行かない人はわからないかも知れない。こういう小役人めいたことの真逆なものを求めて美術館に行っているつもりだったので。
 サントリー美術館はこういう方向になっていくのかもしれない。六本木って場所が、何て言うのかな、日本のスノッブのメッカになりつつあるのかもしれない。

『THE FIRST SLAM DUNK』

 マヂカルラブリーのふたりがラジオで絶賛していたので観に行った。
 昔、井上雄彦がテレビに出ていて、スラムダンクを描き始めた頃のことを語っていた。それまでくすぶっていたらしいのだが、「自分はまだバスケを描いていない」という、まだバスケを描いていない自信(?)があったらしい。その古いエピソードを思い出した。
 原作は朧げにしか知らないが、それでも全然楽しめた。映画全編を通してインターハイの一試合を描きつつ、あいだに回想シーンがはいる、ある意味ではシンプルな作りではあるが、出し入れがうまくて緊張の糸が切れない。実際にいい試合を一試合見たかのような感動がある。
 にわかファンがサッカーのW杯で感動できるように、全然原作を知らなくても感動できるように丹念に作られている。
 直後に感想を書こうとしたのだけれども、タイトルが全部英語なので、いちいち打ち込むのがめんどくさく、Googleからコピペしようとして驚いた。ディスりの記事が溢れている。俺が観たのと別のスラムダンクがあるのかと思ったぐらい。
 中でも(ほんとに違う映画のことかな?)「3DCG」と書いているのがあって(ヤフーニュース)、予告編を見れば一目瞭然なのに、それとも、アニメファン界隈ではあれを3Dというのだろうか?。CGではあるよ。しかし、3DCGでないのはいうまでもない。私の目には「セルルックアニメーション」に見えた。
 それに何より今作は原作者が脚本を書いて監督してるんだし。さすがとしか言いようないと思うが、何で文句言ってるんだろう?。
 それとも、「サイテー」とか「駄作」とか書いて目を引きたいのかな?。そういうのがGoogleにたくさん出てきてつくづく嫌になり書くのが遅れた。
 今はだいぶまともな反応が増えてきてるみたいでホッとしている。
 『大怪獣のあとしまつ』の時もそうだったけど、特撮ファンなりアニメファンなり、異様なほど感受性のレンジが狭い人たちがいるみたい。その枠内でしか作品を作れないってなると、ろくな作品はできないので、たぶん全然無視していいのだろう。

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