存在の耐えがたきサルサ、鎌倉大谷記念美術館

knockeye2009-06-27

村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)

村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)

鎌倉大谷記念美術館の「花とエコール・ド・パリの美女達」という展覧会の今日が最終日ということもあり、それに、鎌倉の集藍が見ごろだろうということもあり、ちょいと出かけた。
この美術館は、お金持ちの鎌倉別邸を美術館にしたものなので、そんなに多数の作品を展示はしない。鎌倉散歩と絡めて立ち寄るのがよい。
今回の展示で気に入ったのは、ピエール・ボナールの「散歩する二人の婦人」、マリー・ローランサンの「花」、レオナール・フジタの「婦人像」。
アントワーヌ・ブールデルの「暁の乙女」というブロンズ像がサンデッキというのか、庭に張り出したテラスにおいてあって、この邸にあるじが住んでいたころは、ここで朝日が差し始めるのを待ったこともあるのだろうと思った。
鎌倉駅の西口側なので、ここの帰りは鎌倉珈琲香房に立ち寄る。

ここの珈琲とチーズケーキはわざわざ足を運ぶ値打ちがある。珈琲の知識があればさらに楽しめるのだろうけど、私はハウスブレンドでマスターにお任せしてしまう。
でも、今日は濃い目のガツンと来るやつにしてもらった。空気が乾燥しているので、日陰に入るとかえって気持ちいいくらいだけれど、それでも夏を思わせる暑い一日だった。あとできくと、関東の一部では猛暑日だったそうである。
集藍のほうは「あじさい寺」として有名な北鎌倉の明月院に。姫あじさいという品種がほとんどだそうで、涼しげな青一色。上野のルーヴルほどではないけど人は多かった。




北鎌倉駅周辺の線路沿いに、今日は鉄道カメラマンが鈴なり。普通の電車が走ってるだけなんだけど、何事だろうと思っていたが、どうやら「レトロ横濱号」という記念列車が横須賀線を往復しているのだそうで、それを北鎌倉を背景にカメラに収めようとしているらしかった。かつて東海道線ブルートレインを引っ張っていた機関車であるそうだ。
「存在の耐えがたきサルサ」は、村上龍の対談集。2001年の本なのだけれどなぜか近頃手に入れて読んだ。とても刺激的で、一度読んだあと、付箋を貼りながら読み直したら、浪人生の受験参考書みたいになってしまった。
対談は1996年から2001年までのもの。言い換えると、阪神大震災地下鉄サリン事件の翌年から小泉政権発足まで。失われた10年といわれ、日本が行き場をなくして漂流していたころに重なる。
もう一度このころの危機的な状況に立ち戻って今という時代を観てみると、すっきりと理解できることもある。人は忘れっぽい。

たとえば、今からちょうど10年前の1998年、妙木浩之との対談にある「庇護社会」についてすこし拾ってみる。

妙木 文化人類学でお金のことを調べてみると、お金は外部から発生するんです。
(略)
共同体と外部の境界領域で共通言語としての貨幣が発生するんです。だから、「お金は汚い」と感じるのは、汚いというよりは異物感なんです。
(略)
日本の社会というのは、私は「庇護社会」と呼ぶんですが、外部に対して昔ながらの「共同体」意識を維持させやすい。だからお金でお金をもうける人を「汚い」と異物感を持ちやすいんです。
(略)
村上 妙木さんの「庇護社会」という用語は本当に実感できるんです。「庇護社会」というのが根底にあって、たとえば土居健郎さんがいう「『甘え』の構造」があると思うんです。
(略)
妙木 「庇護社会」は日本が1940年代からずっと保ってきた社会経済システムを指しています。当時の革新官僚たちが作った共産主義の管理福祉国家に近い計画経済システムでした。それがそのまま終戦後も生き永らえてきたんです。

私は、日本を平気で「格差社会」と呼ぶ人たちにずっと違和感を覚えている。格差のない社会はないし、差別のない社会もないには決まっているが、「格差社会」という言葉は、いま日本が抱えているさまざまな問題にはフォーカスがあっていないと思う。
日本を「格差社会」だといっている人たちは、妙木浩之のいうこの「庇護社会」にしがみつきたい人たちなのだろう。
小熊英二との対談ではこんなのもある。

村上 ・・・『単一民族神話の起源』の中の言葉で、近代日本で流通した集団観においては「まず個人があり、それがあつまって集団ができるのではない。まず集団があり、そこからの疎外現象として<個人>が析出されるのである」とありますが、まさしくその通りだと思うんです。こんなに明確にすっと入ってきた文章はないですね。