knockeye2004-08-26

昨日の日記で、小貫大輔さんの本を、日本教育の弾劾の書だと取られると困る。異なる教育文化のはざまで奮闘する家族の記録だと思ってもらった方がいい。
で、ちょっと引用。


思えば、二十世紀の後半は、人類社会が「平等」に取り組んだときだった。(中略)
その同じ時期に大急ぎで国づくりをした日本は、最初から「平等」の課題をまじめに取り上げた。その結果、世界でもまれに見る「平等な国」ができあがった。国連開発計画(UNDP)の百十一か国の統計(2001年)によると、日本は世界でも、6番目にジニ係数の低い国、つまり貧富の格差の少ない国だそうである。


大間から温海まで走った日、ぼけぼけになっていて、道の駅にデジカメを置き忘れた。あわてて、取りに帰ったが、店の人が「これでしょ」と、返してくれた。
日本に希望がないと言ったが、これだけは、日本か、北欧くらいしかない事じゃないかと思う。


しかし、その一方で、人質バッシングみたいなことも起こる。「均質」に対する欲求が、すさまじいのだ。ちょっとでも異質だと、気か狂ったように拳を振り回す。

で、またまた、小林よしのりさんの方からもちょっと引用。


高遠をなめるんじゃないよ。(略)
あれは、大した女だよ。拘束されていた間も、武装グループと論争しているんだ。「こんな手段で問題が解決できるか。武力以外の方法があるんじゃないか」とか、英語もアラビア語も駆使して、ものすごい勢いで文句言ってる。(略)
人質であるという身分も忘れて、ガンガン激論を交わすという、そんな激情家なんだよ。恐るべき女なんだよ。その様子を見て、郡山さんと今井君はどこか安心感を覚えたらしい。こんな議論するくらいならすぐ殺されることはないだろうと。


高遠さんは、出て行った人だという思いが強い。エクソダスを果たしたのだ。高校時代、倫理社会の時間か、何か忘れたけれど、鉄の壁で閉ざされた部屋に閉じこめられたらどうするか?と言うのがあった。どうするかと言われても。しかし、答えはあったわけだ。出口を見つけられる人には出口がある。出口がないわけではなかったのだ。