桜井哲夫 『<自己責任>とは何か?』が、「恋愛の自己責任」から語り始められているのは、必ずしも高校生向けだからだけではないと思いついた。

恋愛が性欲の処理以外の意味をもつためには、最小単位としての「個人」と、全体としての「社会」との間に、「家族」でも「夫婦」でも、人の関係性というワンクッションが、あるべきかも知れない。

資本制社会の究極の理想は、「無家族」です。家族という、システムにとって非効率な中間領域を解体して、バラバラの個人そのものを管理する方がずっと楽だからです。

とか

「家」は天と地とにつながった宗教的な場であり、人がこの宇宙で最初に住み着く場所、そして「思い出の空間化されたところ」(ガストン・バシュラール『空間の詩学』1957年)でした。

とかいったあたりを読み飛ばしてしまっていたようだ。