ダメになって久しい流しの蛍光灯を新しくするため、ヤマダ電機に立ちよった。最近料理しないので暗くても気にならないけど、週末の気楽さ。安い中古パソコンでもないかと、うろうろしていて、ISUKAのグラブが目にとまった。トレッキング用のグローブらしいが、防水透湿らしいし、掌側のクッションもまあまあ。
バイクの冬用グローブみたいに、ごわごわしていないのも気に入った。北陸に住み始めてからは、冬場はバイクに乗らない。必然的に冬用のグローブはいらない。メッシュグローブで耐えきれなくなった時は、シーズンオフ。終了だった。
しかし、たしかに十月ともなると、絶対メッシュでなければならない理由もない。なくした手袋の補填に、新たにメッシュの手袋を注文してはいるが、あれは来シーズン用にしてもよい。
というようなことをぶつぶつつぶやき、店員に不審の目を向けられながら、レジに向かった。ばかばかしい衝動買いだけれど、モノとのこういう出会いを大事にしたい性格らしい。色はちょっといただけなかったが、台風22号の迫る雨空には、案外しっくり来るかも知れない。バハとも同色の黒にした。
車に戻って、お仕事関係のお電話をしようとみると、留守電が一件。再生すると、宇奈月のセレネ美術館から「お客様のモノらしい手袋が見つかりましたので、ご確認ください」と。
こんな訳で、新品の手袋が3つ手に入ってしまった。
ところで、昨日の話の続きなのだけれど、「自己責任」というキーワードで恋愛を見ると、援助交際くらい「自己責任」を全うしている恋愛態度はない。外人さんは、援助交際と売春の違いが分からないという話だが、売春は、性交だけを商売にしているが、援助交際は、性交をふくまない人間関係もカタログに載せている。芸者さんの啖呵に「芸は売っても体は売らないよ!」というのがある。娼婦はこれを「体は売っても、心は売らない」という線まで妥協した。援交少女たちはここからさらに踏み込んだわけだ。彼女らは、「体も売るし、関係性も売っている」のだけど、関係を売ると言うことは心を売ることとどれほど違うかと考えると怖くなる。もしかしたら、彼女らは、十分に意識的に「心を売っている」のかも知れない。
合理的に考えれば、資本主義のよのなか、あらゆるモノが商品になりうる。関係性というソフトが、性交渉というハードから分離されて商品になっても、確かに不思議ではない。合理的であるということは例外を認めないということでもある。
これがいいことなのか悪いことなのか判断は、ちょっと保留しておきたい。これというのは「関係性を商品化すること」だ。関係性は結局のところ曖昧なものだし、もし、商品化したとしても、その商業性は、実のところ、関係性の部分に過ぎないのかも知れない。