昨日少しふれたチェ・ゲバラの『モーターサイクルダイアリーズ』ネットでは手に入らなかったが、現実世界の本屋であっさり手に入った。よい本の気配がする。読みかけの賀曽利さんの本が終わったら、取りかかろう。
小林信彦さんの例の「小言幸兵衛」のなかに、現代恥語ノートというシリーズがある。岩波新書から出版した『現代死語ノート』というベストセラーがあるので、それのもじりだ。その「恥語」のなかに「自分探し」という言葉があげられている。確かに、ちょっと引っかかる。「ざらっとした」感じ。といいつつ、このブログでも、先頃盛んに使った。まずは、小貫大輔さんの『タイナ15歳の自分探し』と、いきなり書名に入っている。高遠菜穂子さんのことについて書いた時にも使ったが、高遠さん自身は「自分探し」という言葉は使っていなかった。たしか「30を過ぎたら、なりたい自分になる・・・」と書いていたように思う。「なりたい自分になる」の方が、「自分探し」よりなんとなく良い。高遠さんを巡って「自分探し」という言葉が出てきたのは、アマゾンのレビューの中だった。
高遠さんの言葉は、断定的なところがないので、「自分探し」というような記号的な言葉の使い方はしないのではないかと思う。
ただ、こういう記号的な言葉は、問題提起をする時には有効だと思う。ちょっとくらいざらっとしている方がひっかかりがあって。何しろ、小林さんは、「お笑い」と笑いに「お」が付くのが気に入らないという人なので。正直言って、「いいじゃん!」そのくらい。
ちまたで話題になっているかどうか知らないけど、「イチローは、ジョージ・シスラー生まれ変わり」という説がある。ジョージ・シスラーの没年と、イチローの生年が同じなのだ。誰が言い出したのか知らないけど、私が初めて聞いたのは、「松紳」。松本人志の情報は、けっこうネットからというのが多いから、これもそうかも。島田紳助は、最近生まれ変わりにこっているようだ。チベットかどこかの少女に前世の記憶があったとか。「その子には、そんなウソを付くメリットはないねん」とかいってたけど、メリットはなくても人はウソを吐くものだ。
心情的仏教徒として、輪廻転生を否定する気はないが、島田紳助氏の「生まれ変わり」には業の深さを感じる。何しろ、番組で臓器提供カードに記入しようとなったとき、がんとして拒否した人なのだ。その自己愛の強さには、考えさせられるモノがある。自己愛の強い人は、他人に対する思いも強いはずだ。振幅の幅の大きい人なんだろう。私みたいに、ほぼいつもニュートラルみたいな人としては、考えさせられる。