高岡

knockeye2004-12-12

ようやく、晴れの日曜日に巡り合わせたので、目覚めてすぐにとにかく出かけることにした。こないだから、「金沢にでも」と、うわごとみたいにつぶやいていたが、行き先は高岡に変更した。日曜の金沢はたぶん混んでいると思うのだ。
小春日和と言っていい暖かさだろうが、この暖かさは、このところ毎日のことなので、寒さの続く中にほっと一息という感じはない。それでも、この日和を楽しもうと、高岡古城公園には、家族連れが多かった。芝生の上に寝転がって、こどもの写真を撮ったりしていた。
期待していなかったが、まだイロハカエデが紅葉している。喜んでいいのかどうか分からない。もう12月も半ば。そろそろ初雪も降っていいはずなのに、降らない。台風とともにこちらも記録を作りそうな勢いだそうだ。紅葉もとまどい気味に見える。まだ緑を残している葉もあるかと思えば、枝離れしないまま、死んだ鶏の足みたいに縮こまってしまったものもある。
松紳」のふたりが、「紅葉って何がきれいなんかわからへんわぁ」と言っていた。あれは死にかけているんじゃないんか?その通りだけれど、その死は、同時に実りでもある。だから、やはり美しいのだ。彼らは、個人としてあまりに傑出していすぎているために、個としての死が、イメージとして受け入れがたいのではないか?しかしながら、彼らの季節もゆっくりとではあるが、過ぎ去りつつあるような気がする。

今の時期に、ツーリングに出たからには、まさか紅葉を期待していたわけではない。高岡の古い町並みを歩いてみたい気持ちだった。金沢よりは人が少ないだろうし、金沢より落ち着いていそうである。古城公園はちょっと道の駅的なつもりで立ちよったのが、つい長居してしまった。射水神社まで歩いてしまった。巫女さんの白い着物に赤い袴というあのコスチュームが嫌いではない。ちょっと写真とらせて貰おうかなぁと思いながら、散歩の惰性でそのまま土蔵造りの町並みに。いつものことで。
土蔵造りいっても、土蔵ではないらしい。富山はフェーン現象のため火事が多い。あまりの多さに業を煮やして、このような家造りを思いついたようだ。竹を荒縄で編んだ骨格の上に、五層に泥を塗り固めて壁とし、隣家との間にも高い防火壁を築き、屋根にも分厚い泥を載せている。案内の人に、「土蔵造りというと、川越が有名ですがご存じですか?」といわれた時は、ついやんやさんの写真を思い出してしまった。まだ自分では訪ねたことがない。
表向きの重厚さとバランスをとるためという説明だが、中は一転して典雅な数寄屋風。紅殻の赤い壁。だが、これはただの紅殻ではなく、瑪瑙を砕いて混ぜ込んであるそうだ。明治33年に建てられたそうだから、そのころの栄華が忍ばれる。
室崎家と菅野家のふたつにおじゃました。わたくし、以前「マップルの『○○家』を巡って、HPをつくりたい」的な発言をしたことがあったが、未だに果たせずにいる。実際けっこう回ってはいるのだけれど、今回みたいに、ついでに行くパターンが多いので三脚を持っていない。昔の家は暗いので、写真がほとんど使えない。今回もほとんどぶれている。



小春日和の道、といえば、こういう感じ。まさか紅葉とは。

菅野家のシャンデリア。なんともおしゃれ。

これが、瑪瑙を砕いて混ぜ込んだ紅殻の壁。ぶれてるけど。

室崎家は二階が広かった。これはその窓から中庭を見下ろしたところ。ガラスの濁り具合がよい。すでに雪釣りもすませてある。

西の窓から、冬の薄ら日がさす。ふと過去に引き戻される。

展示されていた祭り半纏。梶井基次郎の「城のある町にて」に女物の浴衣が、物干し竿にかかったまま雨に濡れ始めるシーンがある。

信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖の、平常着ていたゆかたで彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴とした。


これは、祭りの山車の飾りが落ちたのをそのまま展示しているそうだ。「胡蝶」と書いた紙がピン留めされていた。