三遊亭円生に「噺家をふと黙らせるばか笑い」という川柳があるそうだ。出典は不明である。じつのところ、新聞に書いてあったのを覚えているだけだ。新聞がいつも信頼おけるとはかぎらない。「秦の始皇帝が『朕は国家なり』といいましたが・・」といって、「それはルイ14世でしょう」と中曽根につっこれた、社会党の議員がいた。あれをルイ14世が言ったというのは、教科書レベルの知識であるが、実は、あの数日前,「秦の始皇帝の言葉に・・・」と新聞に書いていたのを私は見ている。新聞記事なんて信じると、ろくな事にならない。
というわけで、出典は不明であるが、ここは、三遊亭円生の川柳ということにして、話を進めると、古典落語を聴きながら、私はほとんど笑わない。かといって、面白くないわけではない。充分に楽しんでいるし、のめり込んでいると言ってもいい。声に出して笑うことだけが笑いとは思わない。これは、実感としてそう思う。
松本人志が「ごっつええ感じ」終了後にしばらくやっていた「一人ごっつ」という番組。深夜に思わず惹き込まれて、見入っていると、オフ気味にスタッフの笑い声がかぶさる。そのたびに、集中がとぎれて不快な思いをした。あの笑いは、そんな「ははははは」とかいう笑いとは質が違ったと思う。
古典落語がテレビで放送されない理由は、間にCMが挟めないせいだそうだ。以前は、(もしかしたら今も?)関西では、テレビで落語をやっていた。平成紅梅亭とか、特選!米朝落語とか、枝雀寄席とか。けれど、これらはすべて深夜番組。多分、CMの制約が少ないのだろうと思う。そういうテレビ文化の辺境にいたことが、落語のためにはかえってよかったのかも知れない。いわゆる「笑いをとる」ことが出来ないと、視聴率が頭をかすめて、不安になる、みたいな下世話なテレビスタッフと無縁なところに、落語の笑いがあってもいいと思う。
来週末は、是が非でも、三寺詣りに行きたいと思っている。途中に、数河峠が立ちはだかっている。今日、仕事帰りに車のオイル交換をすませた。去年は、日程の都合がつかなかったのでしかたがないが、一昨年は、せっかく有休を取っていたのに、地吹雪で断念した。正確に言うと、地吹雪の上に車のジェネレーターか何かが不調であったためだ。クルマ歴が浅いので、中古車とのつきあい方をよく知らなかった。安く買って、治しまくる。これが正しいようだ。こんなことなら、マイティーボーイを直せばよかったと思ったものだ。
メガネも新しいレンズに換えることにした。フレームはそのまま。表面が傷だらけになったせいだが、度も三段階悪くなっているらしい。「もうそろそろ老眼になってもおかしくないと思うんですがねぇ」というと、「それはそれとして、近眼の度も進みます」だそうだ。挟み撃ちである。なぜ、日本人に近眼が多いのか?ひそかに、めがね屋が勤勉なせいではないかと、疑っている。