松林図屏風

松林図屏風

なんか、この2日ほど、えらく寒い。昨夜はストーブに火を入れた。それでも、ウエアを冬に戻すのはめんどくさい。Gパンとパーカー、今のところ、この組み合わせがしっくりきている。インナーに着ているモンベルのフリースは、ウインドストッパーで、それでもかなり寒かった。
石川県七尾美術館に、長谷川等伯の『松林図屏風』が来ている。のは知っていたけれど、恥ずかしながら「等伯って?」みたいなことだった。で、まあ、「どうでもいいや」と思っていたのだけれど、橋本治の『ひらがな日本美術史〈3〉』の表紙になっているのに気づいて、ちょっと気になりだしていた。
ひらがな日本美術史〈3〉
橋本治の本は読む価値がある。
日曜日に出かけるのは避けたかったが、今日が最終日とあってやむをえない。能登半島の隅っこにしては、すごい人だかり。展示室に、この六曲二双の屏風だけがたてまわされていた。屏風は屏風として展示されている方が断然いい。一度、狩野山雪の雪汀水禽図が、壁にべたっと固定されて展示されているのを見たことがある。あれは興ざめだった。屏風は、あの蛇腹状態になることを想定して描かれている。壁画みたいに並べられては、いろんな方向から見たり、端から順番に見ていったりする楽しみが奪われてしまう。
ここの説明では、等伯は戦国時代末期、狩野派と画壇の覇を争った一方の雄であった。狩野派はその後、徳川のご用絵師として長く繁栄したが、長谷川派は事実上等伯で終わる。
そのせいでもあろうか、『松林図屏風』の松は、非常に新鮮に映る。狩野派の弊害といわれている様式化。等伯の筆には、それ以前のオリジナリティーがあるからだろう。狩野派の松に馴れきっているせいか、最初は松の根に違和感を憶えたほどだ。
この絵で単純に「線」といえるのは、左側の右上に描かれた山の稜線だけ。後は、松の葉、枝、幹にいたるまで、濃淡の墨の筆致だけで表現されている。画家の筆づかいがそのまま遺っていて、まるで書のようだ。
面白いのは、最近、この絵と全く同じ構図の屏風が発見されたそうで、この絵は実は下絵なのではないかという説が上がっていること。だとしたら贅沢な下絵である。作品より最初のデッサンが生々しいことはある。これが下絵とはとても考えられないが、どうなんだろう?