芍薬 『夕暮まで』

芍薬(レッドグレース)

どうもこのところ、日曜日になると天気がぐずつく。今日は晴れてはいるのだけれど、なんだかもやっている。朝の散居村を見に行くつもりだったが、曇っていては仕方ない。昨日から、砺波の美術館で「アンリ・ラルティーグ写真展」をやっているので、散居村のついでに立ちよるつもりだったけれど、フランスの金持ちが道楽で撮った写真(?)という先入観もあるので、それだけでは出かける気がしない。

吉行淳之介 『夕暮まで』 を読んだ。
ISBN:4101143110
このごろなぜか吉行淳之介にハマっているが、これは、主人公の年齢が自分に当てはまってきているからだろう。この作品も発表当時ずいぶん話題になった。「夕暮れ族」などという流行語もできたはずだ。ヒロイン桃井かおりで映画化もされた。当時は、ピンと来なかったが、今になって読むと身にしみてしまう。(大人になってしまったなぁ)
『星と月は天の穴』の時に、セックスがフリーな時代は恋愛が難しい、みたいなことを書いたけれど、恋愛とセックスは、そもそも分かちがたいものだ。逆説的に言えば、セックスをしているにもかかわらず恋愛するのだし、恋愛をしていてもセックスはする。「テクニカル・バージン」にこだわるヒロインによって、その辺のテーマは、より鮮明になる。
この作品を、アンドレ・ジッドの『田園交響楽』と比べてみたらどうなるか?キリスト教徒でない我々には、こういう問題に罪の意識はない。ただ、満たされない思いみたいなものが、胸の底に残る。
中に悪夢の描写が出てくるけれど、これが抜群によくて印象的。こういう箇所は、読んでいるだけで気持ちいい。中編と言っていい長さだけど、濃密な読書だった。

いい本を読み終えて気楽になったせいか、曇り空で、日が傾いていて、花が終わりかけていても、「まぁいいか」と、薬用植物指導センターてふところに行ってみた。去年は牡丹を見に行ったのだ。
行ってみてびっくり。駐車場が満車状態だった。いつもは、人にでくわしたら、お互いがびっくりするようなところなのだ。それが、なぜこんなに盛況なのかはすぐに分かった。芍薬が盛りを少し過ぎたところ。牡丹はもう完全に終わっていた。
芍薬ってたぶん「芍」の「薬」なんだろうね。知らないけど。芍薬を見ていると、花が植物の生殖器であることがよくわかる。とても淫らな花だ。特に、花粉の付いた白い花は、私には汚れたウエディングドレスを連想させる。花弁の中から覗いている、めしべはもっと露骨に女性器を思わせる。『夕暮まで』を読み終わった直後だからかも知れませんれどね。

ところで、この撮影はFZ-5の試し撮りでもある。被写体が芍薬なので、マクロ撮影になる。FZ-5はワイド端で5CMまでよれるだけでなく、テレ端で1mの近接撮影が可能だ。テレ端は35mmフィルムカメラに換算して432mmであるから。これで1mということは・・・なんかすっごく大きい。とにかく、広角のマクロでは、背景の処理が難しい。400mで1mまで寄れるのはありがたい。
一度シャッターを押すたびに、AEBが解除されるという意味不明な欠点も改善された。液晶ファインダーも、撮影情報がイメージの外側に表示されるようになって、構図か決めやすくなった。1から5にアップすると、さすがにいいところの方が目に付く。今のところ、いい感じ。