お見送り 補遺

ルーシ号のタラップ

夜になって晴れた。中止といいつつ、案外みんな行ってたりして。あり得るぞ。
今回のことで思ったけれど、一回目と二回目が成功したので、3回目の開催は臆病になっていたかも知れない。もっと気楽に呼びかけてよかったんだろう。しかし、気楽になることは案外難しい。お気楽な人間が言っているのだから間違いない。
昨日のこぼれ話をすると、テンコーさんを待っていた女性には、1999年に港で会った記憶がある。今回のテンコーさん以上にぎりぎりだった私は、
「バイクを船に積み込む前にガソリンを入れてきたいんですけど」
と、ひとっ走りしてくる気になっていた。その時、
「ガソリンはロシアにもあるし、あっちの方が安いですよ」
と、言った人が昨日の女性だったと思う。ロシア語でてきぱき仕事をしていて、かっこいいなと思った。
語学は、やりようによっては一番安価に手に入る技術かもしれない。貧乏人は語学くらいできるべきかも知れない。自分の世界を出て行くために、良い方法だろう。語学の勉強はショーシャンクの壁に穴を明けるようなものだ。
電源を切っている間に、不動産屋から留守番電話がはいっていた。明日でもいいから連絡がほしい。いやな予感。