森山直太郎が調子に乗っているころの歌に「僕は、君が思ふやうなニンゲンじゃない・・・」なんかいうのがあるが、大概はその逆で、人は自分が思うような人間じゃない。
子供の頃から各地を転々としていると、否応なしにそれは実感させられる。多くの場合、知らず知らず人は土地に根付いている。住んでいる場所は、その人の属性に大きく食い込んでいる。
ここから振り返ってみると、富山は巨大な岩だったように思いだされる。岩の城壁に囲まれてびくともしない、代わりには、容易に他者を受け入れない。
いま私は「自分はいったい何者か?」といった浮遊感に浸されている。富山ではエトランゼの悲哀を味わう事が多かったが、シーンが移ると、まるで私は富山の人のようだ。第三者の目を介さずとも私の内部でそのような変化が起こる。だが、私の内容物のどこにも富山はない。その空虚さが輕みになって浮遊感を起こす、私は何者か?と。