『いつか読書する日』とレオノール・フィニ

『いつか読書する日』を見てきた。路面電車を待っている岸部一徳の前を、田中裕子が自転車で通り過ぎる、そのすぐ後、岸部一徳の乗った路面電車が、田中裕子の自転車を追い越す。このシーンが、このふたりが呼吸している空気だった。あの空気を吸わせてもらっただけで大満足だ。
褒めといて、勝手なことを言うようだが、ラストシーンはこんなふうに変えてほしかった。
渡辺美佐子演ずる作家が小説を書き終える。牛乳瓶の音がする。窓を開けると田中裕子が牛乳を差し出す。少し離れて岸部一徳がいる。
「今朝は一緒なの?」
「ええ、まぁ」と、田中裕子と視線を交わす一徳。「小説は書き終わりました?」
「ええ、今、主人公を殺したところよ。」
これは、結末を先送りしてほしいという甘い考えであろうか。
しかし、私たちは良くも悪くも成熟した社会に生きている。成熟した社会では、死は、必ずしもドラマティックではない。そして、生きることは、死ぬこととさほどかけ離れてもいない。なので、死といえども、万能の神のようにドラマを終わらせてくれるとは、なかなか信じにくい。
不完全であること、恋に不器用であること、臆病なこと、誠実であること。いろいろなことを考えさせてくれる映画だったが、田中裕子がベッドの中で『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるのは、あの、ゾシマ長老の死からアリョーシャが復活するところ、あそこで引用されていた聖書の一節がテーマと関係あるせいなのだろうか。今ここで思い出せて、さらっと書けたらかっこいいんだけどね。そもそも「アリョーシャ」だったっけ?

映画なんて見るのは久しぶり。映画とビデオの違うところは、リモコンがないところ。ほんとは、13:10の回を見るつもりだったのだ。かなり余裕を持って出たのが却って仇になった。
北陸銀行の横浜支店が、横浜駅の次の東神奈川にある。北陸銀行なら土曜日でも手数料無料だ。他の銀行でおろす手数料と、JR一区間分の運賃とを秤にかけて、東神奈川に立ちよることに決めた。ぶらり各駅停車すればいいのだ。ところが、ここに落とし穴があった。というのは、東海道線ではなくて、京浜東北線に乗らなきゃいけなかったみたい。わざわざ川崎から引き返したが、残念なことにATMは設置されていなかった。
奇跡的に、渋谷のユーロスペースはすぐに見つかったのだけれど、
「今、予告編上映中ですが、満席で立ち見の方が何人かいらっしゃいますが・・・」
ということだったので、次の回まで待つことにした。
二時間以上時間があいたので、Bunkamuraに『レオノール・フィニ』を見に行った。あんまり期待していなかったのに、これも良かった。特に、60年代後半から70年代前半にかけての、性の解放をテーマにした作品群が美しい。あそこまで繊細な色は、滅多にお目にかかれないだろうし、それに、線が、文字通りレズビアンの愛撫のように、対象を撫でている。
この辺の表現、実際に見た人は「見たままやんけ!」というであろう。この人がレズであったかどうかは、私は知らない。生涯の伴侶は男性であったから、レズビアンは、男性社会に対するアンチテーゼとして選んだテーマかも知れない。

ちなみにこの画像は、ブンカムラミュージアムのHPにリンクを張らせてもらったものだが、まったく色彩を再現できていない。実物はもっと微妙なのだ。
帰ってからノジマデンキに駆け込みエアコンを買った。サンヨーかダイキンか迷ったけれど、ダイキンにした。店員にだめ押しで聞いてみた。
「ここは暑いんですかねぇ?」