『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』

カレーソーセージをめぐるレーナの物語 (Modern & Classic)
『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』を読んだ。ウーヴェ・ティムというドイツ人の小説。昨日の『いつか読書する日』に続いて中年女性の恋の話。もしも、理想の恋があるとして、それを『ロミオとジュリエット』みたいな10代の男女に託した時代は、はるか彼方に過ぎ去った。今やかれらは、ちょっと目を離すと道端でつがってやがる。あくまで、イメージとしてだけれど。
いつか読書する日』の主人公は、牛乳配達を生き甲斐にしていたけれど、今度の主人公は、ドイツで「たこ焼きのように親しまれている」(訳者によると)という「カレーソーセージ」を最初に作った女性だ。
この手の日常的な食べ物は、生存の原始的な欲求に訴えて来る。たこ焼きが旨いというのと、キャビアが旨いというのでは、旨さの意味が違う。そして恋も、もちろんその同じ欲求に基づいている。
近代以降、恋愛は,原罪に結びつけて否定的にとらえられることが多かった。しかし、恋が生存の根元的欲求であるなら、それを肯定していきたい。逆に言えば、恋愛を肯定的にとらえていこうとすると、それが生存の根っ子に結びついている実感がほしい。それが、カレーソーセージであり、瓶入りの牛乳なのではないか。
どこかのおばさんのたこ焼きがおいしいということが、そのおばさんが確かな恋を生きた証だとしたら、やっぱりそれはうれしい。そんな着想が、最初にこの小説家の頭に浮かんだのかも知れない。
昨日、『いつか読書する日』のラストシーンについて、ちょっとした不満をもらしてみたけれど、ああしてしまうと主人公の生き甲斐である、牛乳配達の重みが損なわれてしまうかも。食べることと生きることを結びつけているのは、やはり恋かもしれない。生きることの肯定は『カラマーゾフの兄弟』のテーマでもあるか。うかつなことは言えないが。
村上龍料理小説集 (集英社文庫)
食べることと恋愛をテーマにした小説に、村上龍の『料理小説集』がある。あのラストのブイヤベースの話は、今思い出してもちょっと笑えるし、元気が湧いてくる。
今日は、桂雀三郎が東京に来ていた。大銀座落語祭2005の「東西特選二人会 三連発!」というのに出演らしい。聞きにいこうかどうか迷ったのだけれど、気が付いたのが昨日で、昨今の落語ブームを考えると、チケットが手にはいるかどうか、不安だったのでやめておいた。正直言って上方落語は、やはり大阪で聴きたいという思いもあった。
この落語祭、笑福亭鶴瓶春風亭小朝立川志の輔春風亭昇太林家正蔵柳家花緑という六人の会が立ち上げたものだが、誰がコアなのかいまいち分からない。
春風亭小朝が、抜群だと思うのだけれど、ブームの中心にいるという感じはしない。どうも、みんな、作られたブームに乗っかって足許を掬われないようにしようと考えているような感じだ。
今回、上方落語協会会長として桂三枝も参加している。最近、『桂三枝という生き方』という本が出た。
桂三枝という生き方
誰が書いたのかなぁ?と思ったら、桂三枝だった。