ベルナール・ビュフェ、ギュスターヴ・モロー、ブラッサイー

knockeye2005-08-16

今日でお盆休みも終わり。朝から美術館をハシゴした。
中でも特筆すべきは、ベルナール・ビュフェ。ビュフェというと、あのカクカクした人物が思い浮かぶ。今まであまりピンと来なかったが、今回は認識を改めた。人物、風景、静物、と分けて展示されていて、人物を見ている間は、まだ「ああ、ビュフェだなぁ」くらいの感じだった。しかし、風景にいたって俄然、空気が一変した。
黒い線が美しい。線はほとんど直線だが、それが単純で、力強くて、個性的で、いきいきしている。特に「ニューヨーク」と題された風景画は圧巻だった。おそらく印刷で見てしまうと、普通の遠近法に沿って描かれた、ただの升目にしか見えないだろう。しかし、実物は違う。線の一本一本がなまなましいのに、全体はこれ以上ないほど単純だ。もう一枚「マンハッタン」と題された絵も素晴らしいが、少し構図が複雑である。私は「ニューヨーク」の方が好きだ。構図が単純なので、余計な頭を使わずに絵の中に入っていける。明日から仕事に行くのがいやになってしまった。この絵の前にいつまでも座っていたい気がした。
そうやってビュフェの楽しみ方が分かってしまうと他の風景画もとても美しかった。マリーナを描いた「カプリ:マリナ・グランデ」は、ディンギー、海辺の建物、丘の家、空、がリズミカルで、ほとんど音楽のようだ。そして黒い線が美しい。これほど黒がきれいな画家って他にいたっかなぁ?ヴラマンクに影響を受けたそうだが、たしかにビュフェの筆はそうとうに素早く動いたのではないか。カンヴァスの上を走る筆が見える気がする。
静物でも同じだった。画家は、黒い線が奏でる音楽を、はっきりと意識している。テーブルやテーブルクロス、ミルクパンなどが直線的に描かれているのに、直線的に描かれてもいいスプーンやフォークは、逆に曲線にデフォルメされている。静物で魅了されたのは「皿洗い」と題された油絵で、単にディッシュウォッシャーに載った皿とコップが、ほんとに白と黒だけで描かれている。かごの直線、皿の曲線が、あるところでは太く、細く、時には絵の具が盛り上がり、また逆に深く刻み込まれ、そういうビュフェの筆致を楽しみながら全体が響きあっている。
この春に見た「松林図屏風」を思い出した。全体を見ると雨に煙る松林。しかし、細部を見ると等伯の、時に濃く速く、時に淡くゆっくりとした筆致の変化があるだけ。水墨画と油絵の違いはあるが、あの、今書き上げたばかりのように生々しい絵を思い出させるものがあった。
印刷で見ていては絶対に分からない。一見の価値がある。
そして、ギュスターヴ・モロー。何と言ってもサロメを描いた「出現」。そして「一角獣」がよかった。「出現」は長い間未完成で放置されていたものを、後に加筆して完成させたものなのだそうだ。この人、習作の段階では先に色をおいていくみたいで、「・・・のための習作」とかいう出品の中には一見してなんだか分からないものもあった。この「出現」も未完の段階ではサロメヨハネ以外は色だけがおかれていたのだろう。それを完成させる際に、ペン画のような細い線で細かな風景や斬首人などを描き込んでいったのだろう。それがいい効果を生んでいる。というか、私は今までそれが、モローの絵だと思っていた。一角獣も同じでもうろうとした色の上に、クッキリとした線で、細かな模様を描き入れている。「旅する詩人」という絵のペガサスの翼にも同じ手法が用いられていた。
東京都写真美術館ブラッサイ展と、それから、ちょっと長い題名なので省略するけれど戦中戦後の日本の写真家たちの回顧展みたいのを見てきた。
もう一つは、松濤美術館和田義彦展。画家本人がいたのでびっくりしてしまった。
ちょっと長くなってしまったので、このふたつに関しては、別の機会に。
昼頃地震があったそうで、帰りはダイヤが乱れてかなり混雑した。