海辺のカフカ

秋風が立ったとでもいうのだろうか、昨日は風が強かった。富山に住んでいる時、秋風が立つと感じたことはない。控えている冬がとてつもない。あちらでは風は、冬に備えて力をためているのだろう。風に秋の訪れを知らされたことはない。秋は軽やかであるよりはむしろ、ぽっかりと暖かく豊かであった。
ビーチバレーの大会が江ノ島であったらしい。すごい青空だし、出かけてもよかったが、お盆休みのPTSDが癒えていない。「出かけるのはもう少し涼しくなってからにしよう」と思う始末。それに、江ノ島もまだテリトリーにしていない。
先週末は美術館のハシゴをしたので、今週はたまっている未読書を片づけてもよい。引っ越しの時、題名は忘れたが、丸谷才一の食に関するエッセーが、ぽろっと出てきた。向こうに落ち着いたら是非読もうと思っていて、昨日あたりちょうど頃合いだと思ったのだ。
けれども、これがどうも見あたらない。『遊び時間』というのは出てきたが、これは既に読んだし、食に関するエッセーではない。それでも、吉行淳之介の『暗室』の書評を拾い読み、「笑っていいとも」増刊号で、小倉優子が去年一度もクーラーをつけなかったとかいうのを、聞き流しなどしながら、午前が過ぎていった。
これではいけないので、丸谷才一はあきらめて、村上春樹の『海辺のカフカ』を読み始めた。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
分量的にちょっと厳しいかなと思ったけれど、面白くて途中でやめられなかった。どうしてこんなに面白いんだろう?文庫になるまで待っていて失礼したなぁと思うくらい。
そういえば、この本が出た当時、本の雑誌のサイトに掲載された村上春樹のロングインタビューをどこかに保存しているはずだった。
この作家は少しずつ距離を伸ばしていく。無個性で想像力のない悪。パラドクスの悲劇。『ノルウェーの森』、『スプートニクの恋人』と繰り返されてきたテーマかも知れないけれど、そのつどに新鮮だ。
この文庫には、あとがきも解説も付いていない。それを尊重して、私も意味の言語化をやめることにする。それにしても、丸谷才一のエッセーはどこに行ったんだろう?はじめからなかったのかも知れない。