「世間」とは何か

「世間様とは何様か?」よく分からないが、イラク人質バッシング事件以来気になっている。
阿部謹也 著 『「世間」とは何か』
「世間」とは何か (講談社現代新書)
「社会」と「世間」は違うのか?そんなことさえ、考えてみたこともなかった。これについて序章にわかりやすい例が挙げられている。

政治家や財界人が何らかの嫌疑をかけられたとき、しばしば「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。

(略)

このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。

あらためて確認しておくと、社会は単位となる個人が存在しないところにはない。社会は明治以降に生まれた翻訳語だから、「社会」ということばがあっても、かならず実体があるとはかぎらない。
言葉としての「世間」は仏教用語なので、万葉の昔から使われているが、今のような「世間」の成立した背景のひとつに、著者は「くがたち」をあげている。古くは奈良朝以前からあるそうだが、鎌倉幕府法には明文化されてさえいた。
訴訟沙汰になったとき、起請文を神社に奉納し、一定期間参籠してその間次のような現象が起こらなければ、真実だと認められた。

一、 鼻血出づること。
一、 起請文を書くの後、病のこと。
一、 鳶、カラス、尿をかけること。
一、 鼠のために衣装を食わるること。
一、 身中より下血せしむること。
一、 重軽服のこと。
一、 父子の罪科出来のこと。
一、 飲食のとき、むせぶこと。
一、 乗用の馬、斃るること。

上記のようなことが正邪を支配している世界に、神と個人が向かい合うなんてことは起こるはずがない。つまり個人は成立しない。カラスに小便かけられないようにしようという心に、個人も社会も存在するはずがない。あるのは、カラスが小便かけるかどうか監視している世間様だけである。
宗教が個人や社会の成立に深く関わっているのは、「初期真宗教団の革新性」という章を読むとよく分かる。親鸞という人は法然の教えに徹した人だったが、
「弥陀五却思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」
とか
親鸞は、父母孝養のためとて、一返にても、念仏もうしたることいまだそうらわず。」
なんて、今なら世間様のバッシングにあいそうな言いぐさである。「おとうさん、おかあさんを大切にせなあかん」とか。
しかし、これが、個人として絶対者と向き合うということに他ならない。
だから、

念仏衆には階級の上下や僧俗の区別がなく

(略)

教徒たちは互いに同行・同朋と呼んで結びついていた。このような同朋集団は「門徒の老」を中心として結びつき、寺院を持たない。道場を共同で維持し、土地や建物は門徒惣中の共有であった。いわば彼らが日本ではじめて平等観を打ち立てたともいえよう。

例の鎌倉法の宗教的裏付けとなっていたのが、比叡山の座主で、親鸞を得度させた慈円だったことを考えると驚いてしまう。もちろん、教団が巨大化するにつれ、次第に内容が変化し、蓮如上人に「世間の名聞に似たり」と戒められているのだけれど。
以前、靖国問題に触れたときに、鎌倉仏教を引き合いに出した。たぶん、そういうことは論議として突飛なことなんだろう。しかし、
靖国神社が議論の対象となるとき、「なんでよそ様にそこまで言われなきゃならないんだ?」という論理と、「よそ様に迷惑かけたんだからとにかくあやまれ」という論理のふたつしかない。どちらも世間様の論理に過ぎない。第二次大戦中ですら、浄土真宗は弾圧されている。他の宗教についても同様だろう。信教の自由があるので靖国神社自体を否定するつもりはない。だが、国体の維持のために存在している国家神道は、やはり政教分離に反している。
「世間」に対峙する存在として著者は「隠者」をあげているように思う。

隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しなかった「個人」に他ならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるを得なかったのである。

として、吉田兼好井原西鶴夏目漱石永井荷風金子光晴を、隠者の系譜として論じている。
近代以降で、「世間」と「社会」という言葉をかなり意識的に分けていたのは、意外にも(?)島崎藤村の『破戒』だったそうだ。「世間」は主人公丑松を差別する主体として、「社会」は、明確ではないが、彼が入り込む余地のあるものとして。
もう充分、本の内容に触れすぎてしまったが、最後に、永井荷風金子光晴のパリ体験の差を論じているところも読み応えがある。荷風とちがつて、金子光晴は今のバックパッカーに近い。絵を売りながら旅費を稼ぐあたり、リンク先のジュンヤさん(ズベズダさん)みたいだ。
しかしどうなんだろう?十分に個人であろうとすると、隠者にならざるを得ないのだろうか?私は自分のことを隠者みたいだと思うことは多い。隠者であることは賞賛されることとは思えない。西鶴のある作品に触れて、「近世の隠者は虚構の場を通じて他者と結びついていた」とある。ブログは隠者たちが結びつく虚構の場なのだろうか?