オイル交換、府中市立美術館

ホイットニー美術館展

オイル交換、25852km。
午後から雨の予報だったが、多分はずれるだろうという予感が当たった。
それでも一応午前中に、府中市立美術館へ、ホイットニー美術館展を見に行った。まだ、関東の地理に不案内なのだが、これはさすがにバイクで行く方が良かろうと見た。鎌倉街道という道を北上していくのである。関東に住み慣れた人にはなんでもない地名だろうが、私にはまだ新鮮。そういえば、いつだったか関西のJRで、「播州赤穂行き」という電車に感動していた人がいた。あんな感じだろうか?
この前のベルナール・ビュフェがまだ鮮烈に残っているので、今ひとつのれなかった。それに、わたくし、アホなことに、ホイットニー美術館とデビッド・ホックニーが頭の中でぐちゃぐちゃになっていた。美術館に入ってみて、「あれ?ホックニーじゃない?」みたいな。この手の思いこみは、ホント、やばいくらい多い。これは一人暮らしのせいだと思う。だれかに「週末ホイットニー美術館に行くから」とか口に出していっておけば、こういう間違いは防げると思うのだ。目で「ぴあ」の記事を追っているだけなので、頭の中で「ホ***ニー」になってしまっている。それにしても一字多いか?
いずれにせよ、目玉は最初からエドワード・ホッパーだったので、展覧会自体は楽しめた。フォトリアリズムの作品が一点しかなかったのが残念だ。ロバート・コッティンガムという人の「ラジオ」という絵。フォトリアリズムはおかしなもので、写真だったら「なんだこれ?」みたいなはずのものを、わざわざ写真みたいな油絵にしてくれていると、じっと見てしまう。
全体として出展数が少なかったので、食い足りなかったが、ロイ・リキテンスタインは、やっぱり面白い。同じ「考え落ち」でもひねりが効いている。「金魚鉢」という作品。これが今回一番気に入ったかも。明らかにマティス本歌取り、今風にいうと、トリビュートだろうか?やっぱりパロディーか。二次元のような三次元のような面白い作品だった。
かえって併設されていた牛島憲之展がよかった。独特のソフトフォーカスのような表現で、凪いだ海が美しい。
この府中市立美術館は、ミュージアムショップに書籍が多い。その中で、思わず手に取ってしまったのは、「リトリボーイ」。一冊だけおいてあった。買おうかと思ったが、9600円也!立ち読みするだけにしておいた。それにしてもあの展覧会、ニューヨークでしかやっていないはずだが、どうして日本語対訳の目録があるのだろう?なぞだ。
話は変わるが、昨日、ホントに単眼鏡を買った。ダイエーでケンコーのが安く売っていたのだ。あの店、倒産するはずだわ。意味わかんねぇもん。30万画素デジカメ機能付き双眼鏡も売っていた。誰が買うの?しかし、この単眼鏡、実際にモニターを見るには焦点距離が長すぎた。私はまだ老眼でないつもりだが、単眼鏡の方が老眼なのだ。よく考えればそれはそうなので、2メートルくらいでピントがあってくれては、望遠鏡の意味がない。きりぎりピントが合う位置まで椅子をひいた。