「世間」とは何か その3

阿部謹也の本も三冊目になるとさすがに飽きてきて頁を繰る手もとどこおりがちになる。前の二冊が講談社現代新書、今読んでいるのは岩波新書なので、内容が重複する点もある。しかし、今読んでいる本は2003年出版。記憶に新しい事件も取り上げられているので、下世話な耳をそばだててしまう。
そもそも・・・と、そもそも論を言い始めると、飽きてきている証拠だが、「世間」に脅威を感じ始めたのが、高遠菜穂子さんの事件だったから、話がそっちへ繋がっていかないのも焦るところだった。だが、ぱらぱらめくっているうちに、「ん?」という一節にぶつかった。
先日ちょいとふれたが、郵政民営化法案が参院で否決したとき、「何度も公約にかかげてきたことを、今更否決するのもどうですか?」と辛坊治郎に話を向けられて、「その公約もよく読めば,『今後の検討課題にする』と書いてある」と答えて日曜の眠気を覚ませてくれた鴻池某。あの某がこの本の書かれた頃、話題の中心になった事件があった。鴻池某は幼児を殺害した少年の親は「市中引き回しで打ち首にしろ」と言った。
「危機を自分の責任として認識するという為政者の責任は完全に打ち捨てられた。」という芹沢俊介氏の批判は言うまでもないとして「表の大きな声と裏のひそひそ声を使い分けてきた日本人がついに、裏のひそひそ声をも公然の場で語りはじめたのだ。このことは日本人のメンタリティーの構造が根底から崩れ始めていることを語っているのではないか。」という意見が実はひどく重要かも知れない。
つまり、私たちが現実には狭い「世間」の中で生きていながら、少なくとも表向きは個人の尊厳や社会の平等を守るふりをしてきたのは、西欧に対するコンプレックスにすぎなかった。それが薄れた今、「世間」を対象化するどころか、借り物の「社会」をかなぐり捨てて、「世間」の権威を前面に打ち立てようとしているのではないか?
個人の尊厳や平等な社会を自分たちの努力で勝ち取ってこなかった私たちのなかには、狭い「世間」の権威がもっと広い「社会」にも通用すると思っている人も多い。「田中角栄時代はよかった」とか「戦時中はよかった」とか本気でつぶやく人は珍しくない。鴻池某の意見など「江戸時代はよかった」と言いたいのだ。(笑)
これらの人たちは自分たちの善悪の規範がどこにあるのか、考えてみたこともないのだろう。自分が生きてきた狭い「世間」の中で、なんとなく通用している権威を、別の「世間」に押しつけても効力がないことに気が付かない。
狭い世間の中だけで一生を終える生き方は今でも可能かも知れない。しかし、それは、狭い世間を出ない意志を必要とするはずで、逆説的に世間を脱しているかも知れない。阿部説では隠者は例外的に個人たり得たものだったはずだから。そうなると、この情報化社会に自分の世間の権威だけに頼って生きていくのは、事実上不可能だし、あまりに情けない。クラスの中で誰かが「きもーい」と言い出すとみんなが同調してしまう世界に価値観を頼るべきではない。
個人が誕生する前の原初的な「世間」は、むしろ「恥の文化」が支配していて、暗黙のうちに恥を雪ぐ権利が公認されていた。昔の子供のケンカが、陰湿にならず、殺人など極端に走らなかったと言う伝説があるが、原始的な恥の文化がこどもたちの世界に生き残っていたからではないかと思う。環境の変化がこどもたちの世界を破壊してしまった今、ガキ大将を中心とする恥の文化も消え、管理社会の戯画がそれにとって変わったのではないかと危惧する。子は親の鏡なのだ。
阿部謹也氏はそうとうな親鸞ファンらしく、今回の本には現代語訳も合わせると6ページまるまる教行信証からの引用がある。(!)迷信や身分の差別に左右されなかった初期真宗教団のあり方に強く惹かれているらしい。だが、なにも法然上人の打ち立てた華麗な論理体系が必要というわけではないと思う。西鶴がよりどころとしたのは、色と欲の論理だった。これも別の意味で普遍的といえるだろう。善悪の基準を持つのが、個人かどうかが肝心なのだ。個人が良心に従って行動しようとすると「世間」は必ず妨害する。あのときバッシングしたのは個人某ではなく、やはり未分化な世間様だったのだろう。