ポピュリズム

大内宿の風車

会津はとても気に入った。今回、よい温泉をうっかり見過ごしてきてしまったのが残念なので、できればあさってからまた行きたい。ところが、腰痛が出てしまった。悪化しなければよいのだけれど。
月曜の夜、渋滞のR246を下りたのが8時ごろ。信号待ちしながら、思い出し笑いをした。会津田島で、ピザ屋に入ろうとしたら、ちょうど店を閉めたところ。時計を見たらまだ8時だった。
仕方ないので、通り過ごしてきた中華料理屋で古老肉をたべ、ついでにデジカメを充電しがてら、週刊現代を読んでいた。現代には大橋巨泉のコラムがある。選挙前の号で、こちらも小泉批判。「ポピュリズム政治とは決別しなければならない。」とか、書いてあった。
ポピュリズム」も、小泉批判によく使われる単語だが、いまいち意味が分からない。私の理解としては、タレントが議員になったりするのをそういうのかなぁとぼんやり考えていたが、大橋巨泉がそれを批判しているとなると、私の理解が間違っているのかも知れない。
いずれにせよ、小泉批判は、どれをとっても迫力に欠けているようだ。民主党と同じで、対案がない。たとえば、大橋巨泉氏には、「議員になったけどイヤになってすぐやめた」というサブタイトルが付いている。氏のコラムは、そういう人の意見に過ぎない。ブログだらけのこの世の中、意見だけならあふれかえっている。大橋巨泉氏がいかに博覧強記であろうとも、リアクションに過ぎないという意味では、ブログの意見と同列なのだ。 大橋巨泉氏は、アクションの側に廻ったとき、何もできなかった。違うだろうか?
わたくし、別に小泉純一郎を手放しで賛美するつもりはない。しかし、もしこの人を批判するつもりなら、対案が必要だ。とにもかくにも、日本の20世紀に終止符を打って、新しい方向に歩き出しているのはこの人なので、何か言いたいときは、後ろから声をかけても意味がない。先回りして、別の道路を造っておく必要があるだろう。20年前にこの人が郵政民営化を言い出したように。