やんやさんのBMW

knockeye2005-10-13

やんやさんがBMWF650を手放すことになった。バイクは新居にお供しないようだ。HPで分かるとおり、これまで乗り継いできたバイクの数、そして、様々な旅、写真、それから今では自分のフィールドといえる場所を色々持っていること、などを考え合わせると、バイクライフに悔いなしと言えるのではないだろうか?

その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶(みおぼ)えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途(ようと)も思い当らない。老人はその家の主人に尋(たず)ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談(じょうだん)を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣(しんけん)になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧(あいまい)な笑を浮(うか)べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目(まじめ)な顔をして同じ問を繰返(くりかえ)した時、始めて主人の顔に驚愕(きょうがく)の色が現れた。彼は客の眼を凝乎(じっ)と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖(きょうふ)に近い狼狽(ろうばい)を示して、吃(ども)りながら叫んだ。 「ああ、夫子(ふうし)が、――古今無双(ここんむそう)の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途(みち)も!」  

その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠(かく)し、楽人は瑟(しつ)の絃(げん)を断ち、工匠(こうしょう)は規矩(きく)を手にするのを恥(は)じたということである。

東洋的理想をいえば、道の究極は忘れることにある。それに、結婚生活というのも、バイク以上に乗りこなし甲斐がありそうだ。
やんやさんの奥さんは、二槽式の洗濯機にこだわりがあるという。なかなかの人物と見た。