『世の中ついでに生きてたい』

世の中ついでに生きてたい古今亭志ん朝の対談集。
ところで、こないだ吉朝の病気が気がかりだと書いたら、はてなダイアリーは有り難いもので、「吉朝」に勝手にリンクしてくれて、近況が分かってしまった。どうやら病気は回復に向かいつつあるようで、この夏には『肝つぶし』を演じたそうだ。まずはよかった。
落語というのは、立ち話もなんだから座って話してる、みたいなことの延長なんだろうけれど、それにしても志ん生という人は名人だったらしい。

馬生 「レコードを聞くと、私の頭の中にある艶やかな志ん生最盛期のものが壊れるような気がしていやなんですよ。戦時中あたりの独演会ね、冷房も何もないところで、七月、真っ昼間やるんですからねえ。それでもお客がダーッと列んで、いっぱいにちゃうんです。そんな中でやった『唐茄子屋政談』なんて、いつ聞いてもうまいなあ、と思って聞いたもんですよ。暑い最中でもだれもうちわやせんすを動かさなかったんですからね。」

レコードが得意でない一方で、お座敷は上手かった。

志ん朝 「・・・親父はよく呼ばれていったけれども。また親父は座敷がうまいんですよ。というのは、稽古って、稽古つけてもらってる方は笑わないんです、覚えようと思うから。ところがうちの親父の稽古って笑っちゃうんです。笑っちゃうんで、なかなか覚えられない。(略)だから座敷が多かったのわかりますね。」

志ん朝の対談集なのに、志ん生のことばかりになって恐縮だが、実際は、話の中身は何でもいいので、池波正太郎と女や食い物の話をしているところを紹介してもよかった。
わずかでも、志ん朝を聴いたことのある人は、この対談集を読みながら、あの語り口を懐かしむことができるだろう。