バシシさんの講演

バシシさん

バシシさんの講演を聴きに行ってきた。
ワールドツーリングネットワークジャパン主催のこの講演会はこれが第11回らしいが、その中で50人以上人が集まったのは、二人目の快挙だそうだった。もう一人が誰なのか聞くのを忘れたが、そんなわけでスタッフ全員が椅子に座れない盛況ぶりであった。
バシシさんは想像以上に話がうまくて、パソコンの技を駆使したスライドの映写も動きがあってわかりやすい。ロシア〜中東編とアフリカ編がちゃんと一時間ずつに配分されているあたり、素人のわざとも思えない。思わぬ才能を見てしまった。
この日使っていたVAIOのノートパソコンが、実際に旅に携行したVAIOだそうで、道中Excelでつけ続けていた整備記録も見せてくれた。そのあたりの感覚が私にはない。主催者の方も「予防接種とか、バイクの持ち込み等々、ベテランになると『行けばなんとかなります』みたいな話で済まされてしまうことが多いのですが」と感心していたようだ。「実は私もイランがアラビア語を話さないと、はじめて知りました」と苦笑されていた。バシシさんの情報処理力はかなり高い。
薪割りと一緒で、旅も一本で三回楽しむことができる。準備と最中と整理である。私が行った2002年はまだ情報があやふやな部分が多く、準備という意味では今と違った楽しみがあった。・・・と今では言える。(笑)でも、もっと準備に慎重であれば、もっと楽しかっただろうと思うのは事実だ。私は、他の人たちと違って先人の情報を参考にしなかった。というのも、私自身がその前1999年に一度、第一回のロシアツーリングに果敢にも挑戦して、みごと玉砕しているからだ。そのときのリベンジという気持ちが強かった。私の場合は自分の失敗を参考にすればよかったのである。言い換えれば、他から情報を仕入れる余裕がなかった。
ところで、今日話を聞いていて気がついたのだけれど、バシシさんが渡航したのは2004年だった。なんとなく2003年かと勘違いしていた。多分、2003年くらいまでは私の意識が朦朧といていたらしい。いわれてみれば、ロシアツーレポに2003年に道が開通するらしいという情報を書いたし、その2003年には永原夫妻が全線陸路のロシア横断を果たしている。バシシさんの出発前にも、「プーチンが来て(横断道開通の)式典をしたらしい」みたいな話をした。今では道もどんどんよくなっているらしい。「そのうちオンロードバイクでヨーロッパまで行ける」とバシシさんの話にもあった。
ハバロフスク〜チタ間に横たわる、バロータという大湿地帯が、ライダーのみならずチャリダーの旅も阻んできたのは、マーク・ジェンキンスの『大シベリア横断記』に詳しいが、あの道をハーレーでぶっ飛ばせる日が来ると思うとなにやら感慨深いものがある。
ウラジオストークハバロフスクについては、3年隔てて二回走っている。あの辺の変貌ぶりを知っていることが、私の思い出に奥行きを与えてくれている。2002年には無粋なコンビナートが建っていたあたりも1999年にはまだ延々と続く森で、ガス欠を心配しつつ走っていた。旅人の贅沢を言わせてもらうと、あのあたりはあのまま変わらないでくれてもよかった。
ついでに、懐かしいというか恥ずかしいというか、珍しい人との再会も果たした。1999年にサハリンでたまたま出会った女性ライダー古山さん。あのときの私は向こうの役人さんに無理やり追い返される準備中(?)だった。
懐かしいといえば、バシシさん見送りのときにお会いした六文銭さんたち一行も参加されていた。バシシさんは自然と人を集める人のようだ。
バシシさんと面識のない一般の人たちも多くいた。これから旅を計画している人たちなのか、それとも昔、そういう旅をされていた人たちだろうか。テンコーさんの話も出たが、古い挑戦は若い人たちに更新されて輝きを増すように思う。私自身は、話を聞きながら、個人的な感情を追体験していた。そういう人も多分いただろう。
もっともアフリカ編や中東編は別である。未知なことばかりで大変楽しく聞けた。サバンナに沈む夕日の写真が美しかった。
酒の席は近年ますます苦手になったため、二次会はご遠慮もうしあげた。二日続けていくのはどうも具合が悪い気がするのでいかないが、明日も同じ会場で「アフリカジャンボ」と題してアフリカ編だけに絞った講演があるそうなので、予定のない方はぜひ参加されたい。めったに聞けないお話だと思う。ってこんなこと朝の四時半に書いても効果はないかもだけれどね。