『名人は危うきに遊ぶ』

knockeye2006-05-01

名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

昨日に引き続き、白洲正子の本。
一般に「活字中毒」という言葉があるが、活字はもはや絶滅しているらしい。あとがきにこの本の成立事情が書かれている。

その安土さんから六、七年前にある注文を受けた。現在では本はすべて写植となり、もう活字はなくなるから、最後の職人に活版刷の本を出させてはくれまいか。それには特別な紙も漉く必要があるので、長くかかると思うがそれでもいいか、といわれた。

それは音に聞く精興社の職人さんで、私は否も応もなく、ひどく光栄に思って二つ返事で引き受けた。

(略)

平安朝以来、少しづつ姿を変えてつづいた日本の活字の、その中でも特に美しいとされている精興社の最後の活版刷で私の本ができる、---そう聞いただけで胸が躍った。

そういう本を文庫で読んでいると思うとちょっとがっかりではある。おそらく作者最晩年の随筆であろうか。武相荘のつつじや椿によせた文章もあった。年譜をみているのだが、老いてますますお元気なようで、たとえば、1990年、80歳の年には「能の物語・弱法師」(河合隼雄との対談)、「現代の侘びってなんだ」(赤瀬川源平との対談)と。弱法師は桂吉朝の末期のネタとなったあの弱法師。それについて河合隼雄白洲正子が何を話しているのか聞き耳を立ててみたい。
河合隼雄白洲正子明恵上人でつながっていた。真宗門徒の立場からすると、明恵という人は法然上人の死後『崔邪輪』という書物を書いて攻撃した人で、それはたぶん親鸞聖人に教行信証を書かせるきっかけとなった。
法然上人や親鸞聖人を仏教の正統だとすると明恵上人は、当時は保守側にたっていたとしても、今から見ると相当ユニークにみえる。なにしろ「あるべきようわ」の人なので、論理大系とかいうこととはまた別の話なのだろう。
ところで、わたくし完全に勘違いしていたのは、今日も明日も仕事だった。うっかり休むところだった。というのは、富山本社のカレンダーではGWの前半を休むのが通例になっていたので、ついついそれがならいになってしまっていた。