
- 作者: 鶴見俊輔
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/02
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
鶴見俊輔の『回想の人びと』を読み終わった。齢80をすぎて書かれた交遊録が、同時に自身の回顧録になるのは当然のことだが、それはまた同時に戦後外史でもあるようだ。
加藤周一が何かで「八月十五日になると頭を丸める人たち云々」と書いていたのを読んだ記憶がある。「なんだそれ?」と思ったものだ。ざらっとした印象が残った。それが鶴見俊輔をさしていたと、今回気づいて苦笑してしまった。わたしは「戦後」という感覚を持ち合わせていない。「戦後」はあくまで後付の知識にすぎない。しかし、毎日(実を言うとこれを書いている今現在も)頭上を米軍機が飛び回っている理由は「戦後」に求めなければならない。今が「戦後」でなければ事情が変わっていた多くのことがある。
「戦後」を実感として、しかも少年期の体験として生きてきた人たちは、行動を伴わない言葉では、それを割り切ることはできないのだろう。多くの場合、行動は問いかけであって、答えが得られない場合も多い。あらかじめ答えのある問いになれていると、答えのない問いは、無駄にしか見えなくなってしまう。
鶴見俊輔のこの交友録は、そういう人たちの行動が「戦後」にいくつかのひっかきキズを残してきた記録でもある。
この人は国民の中にいて自分ひとりの道を歩く人かどうかという尺度によっている。陣営にかかわらず、そういう人と私の思う人を選んだ。
とあとがきにある。集団の価値観ほどあてにならないものはない。そんなものに乗っかったり、乗せられたり、担いだりしているほど惨めなことはない。
話は変わるが、週刊現代の大橋巨泉のコラムが急に終わった。