あじさい補足

先日、あじさいの漢字についていい加減なことを書いたので、ちょっと検索してみて詳しいページがあったので、リンクさせていただく。


文献に見るアジサイ

1.アジサイの名の由来

 
アジサイの名前が日本で出てきますのは「万葉集」からで、「万葉集」では大伴家持橘諸兄がそれぞれ歌っています。

大伴家持

 言問はぬ木すら味狭藍(あぢさゐ)諸弟らが練りの村戸(むらへ)に詐(あざむ)かヘけり

村戸(むらへ)はむらととしているものも有ります。味狭藍(あぢさゐ)ですが味狹藍を使用している場合も有ります。


橘諸兄

安治佐為(あぢさゐ)の八重咲如くやつ代にをいませ吾が夫子(せこ)見つつ偲ばむ

 
夫子(せこ)は背子としているものがあります。

参考文献等で上の歌の表記や読み方が異なる場合が有りますので注意して下さい。

万葉集」以降では「新撰字鏡」(僧昌住 著:894−900年刊)の中に安知左井,平安時代の源順(みなもとしたがう)が「倭名類聚抄」で安豆佐為(あづさい)を使用。

ただこれらのアジサイガクアジサイなのかテマリ型のガクアジサイなのかヤマアジサイの仲間かは推定の範囲を超えられません。

あぢさゐにつきましては、「万葉集」に味狭藍あるいは安治佐為などと書き、「和名抄」にはあづさゐともあります。その語源につき、谷川博士は、花の色よりいでたものとし、すなわち、あぢ小藍の義、あぢは称賛の辞であると。「和名抄」のあづさゐは集藍の意だろうとおもわれますが益軒は多数の花が集団せる様子からみてとり、あつさき(厚咲き)、このきがいに転じたものと解釈しています。しからばあつさゐではなくあつさいでなければなりません。
「あじさい漫話」宮南 裕「植物と自然」
1980Vol.14No.6 引用

山本武臣氏のグリーンブックス53 アジサイでは、これらアジサイまたはアヅサイは推定で集真藍(アヅサアイ)、すなわちあづは集まるの約、さは意味の無い接頭語で、さ藍がさいになったというのが一般的に有力な説と書かれています。(藍は青色の事)

アジサイの和名につきましては他にも色々意見が有りますが、少なくともアジサイは古くからあぢさゐ、あづさゐなどと発音されていて、青色の花の色に関係した名前らしいという事です。

アジサイに紫陽花の漢字を使用したのは源順で、源順が中国の中唐の時代の詩人白居易
(白楽天:772−846)の「白氏文集」の中にでてきます紫陽花を勘違いしてアジサイにあてたのが始まりです。この「白氏文集」の中にでてきます紫陽花がなんなのかは全く不明ですがライラックではないかとの意見も有ります。これまた紫陽花の間違いを繰り返す恐れも有りますので不明のままでいいと思います。問題の「白氏文集」の紫陽花が出てくるのは文集巻第20の中に有ります。

中国の杭州の招賢寺に、名前が不明の紫色の花木があり、それに白居易が紫陽花の名前を与えた。  

       何年植向仙壇上

       早晩移栽到楚家

       雖在人間人不識

       与君名作紫陽花


源順の間違い以来現在もアジサイに紫陽花の漢名を使用しているわけです。
現在中国の本等ではアジサイは綉球科(八仙花科、虎耳草科)、綉球属(八仙花属)と表記しています。アジサイ:Hydrangea macrophyllaは綉球、八仙花、大八仙花、八仙綉球、繍球花(繍は全てもうちょつと画数の多いしゅうを使用したかったのですが使用できませんで
した)、洋繍球、紫陽花、紫繍球、瑪哩花、天麻裏花、雪球花、粉團花などと現在表記されています。

八仙花はアジサイの花の咲き方で、真中に両性化の集まりがありその周囲を中性花が8個取り巻いてある様子からきたのかも知れませんが良くは分りません。


日本から中国にアジサイが渡った時に中国では天麻裏掛あるいは瑪哩花としたらしく、天麻裏は手鞠で、瑪哩はマリをメリにあてたもの。このテマリ花のアジサイが当時テマリバナと言っていたのでこれを中国の漢字に当てはめたものと推測
:「あじさい漫話」宮南 裕「植物と自然」
1980Vol.14No.6 引用