オイル、オイルフィルター交換なかば

人間ドックの結果、尿に蛋白が降りているし、胃にも肺にも疑わしい影が写っているというので、再検査にでかけた。尿蛋白にかんしては、去年に引き続き二度目なので放ってもおけない。
朝飯ぬきで来いといわれたが、午前3時に帰宅する私の食事の、どれを朝飯といっているかわからないので、とりあえず前日の8時以降の食事は控えた。
医者は、「胃のこの辺があやしいんですが、バリウムだけでは分からないんですよね」とか、「右の肺のこの辺にスジが写っているでしょう?血管だと思うんですけど、普通はこの辺に血管はないんですよね」とか。素人目には間延びしたのどかなレントゲンである。どうみても重病らしい迫力に欠けている。挙句には、「いったん家に戻られて再検査するかどうか考えてくださっていいですよ」と言い出す始末。
尿蛋白についてはスルーする勢いなので、こちらから話を向けてみると、「いや、これは蛋白がおりているっていったって・・・」みたいなことで、何しにいったのかよく分からない感じだった。もちろん、癌を宣告されるよりは喜ばしいが、そのまま帰るのも心細いので、とりあえず胃カメラとCTスキャンの予約だけしてきた。悪魔は弱そうな顔をしているというのが、私の持論である。(ほんとは胃カメラは飲みたくないけどね。胃カメラ感染が怖いし。)
ほとんど寝ずにでかけたのに、帰りはもうお昼前。朝飯を抜いたのと安心したので腹が減った。なにか腹ごしらえするつもりだったが、伊勢丹紀伊国屋があるのを発見、財布に神奈川新聞からもらった500円の図書カードがあったので、小川洋子の随筆集を買った。
ついでに、一年ほど前に会社のボウリング大会でもらった全国百貨店共通お買い物券で、透過液晶の置時計を買った。これが家に帰って見ると、どこにおいても文字が見えにくい。透過液晶の時刻を通して、散らかった部屋が見えるからだ。
久しぶりに連休なので、明日に備えてオイル交換をしかけたが、モトレックスのTOPSPEEDとFORMULAはシンセティックとセミシンセティックの違いで、どうも一緒にするとまずいみたい。入れ物の中で分離している。よくは分からないけれど、「いや、これはまずいぞ」と半分入れたFORMULAを抜いて、念のためオイルフィルターを交換したら、雨が降り出した。オイルレベルの調整は順延にした。
私みたいにメカに弱い人間にとっては、オイル交換くらいの作業がちょっとうれしい。まがりなりにも機械をいじっている気がするからだが、その意味ではバハのオイル交換作業はフラストレーションが溜まる。ちゃんと規定量がはいったかどうかわからない。その点、ジェベル200はよかった。オイル窓があって、HとLの間に油面が来ていればいいんだから。

食通知ったかぶり (文春文庫)

食通知ったかぶり (文春文庫)

丸谷才一の『食通知ったかぶり』を読み終わった。1975年の本。昔の文庫は文字が小さくてつらい。75年には日本にバブルなんてものが来るとは誰も知らなかった。なので、日本各地のうまい店を堂々と実名で紹介することに、躊躇を憶えたりすることもなかったようだ。あとがきには

『食通知つたかぶり』は何よりもまづ文章の練習として書かれた。

とある。
神戸の章に

別館牡丹園の料理があまり気に入つたので、その夜わたしは宿に帰つてから、また広東料理のことを考へた。今度は文明論的といふよりもむしろ文学的なことで、といふのは、いつか邱永漢氏の『食は広州に在り』で読んだ、宋の大詩人、蘇東坡のことを思ひ浮べたのである。(この邱氏の本は名著である。戦後の日本で食べ物のことを書いた本を三冊選ぶとすれば、これと檀一雄氏の『檀流クッキング』と吉田健一氏の新著『私の食物誌』といふことにならう。)

吉田健一氏の新著」というところが時代を感じさせる。1975年にはまだファミレスやコンビニは蔓延してなかったのだろう。この本に紹介されている店が今どうなっているのか?残っている店も多いだろうが、もしこのころと同じ味を提供してくれるとしたら、奇跡に近いのではないだろうか?
2006年現在、これと同じようなグルメ本が出版されたら、たぶん胡散臭く感じるだろうが、30年前の本には、なつかしさ以上のなにか時代の幸福感みたいなものを感じてしまった。