若沖、ポップアート

knockeye2006-08-05

「若沖と江戸絵画展」を観るべく上野にでかけた。今回は横浜から京急で品川までいき、山手線に乗り換えた。一年住んでやっとこの方が安いと気づいたわけである。
上野公園は京都の岡崎公園どころではなく、やたらと美術館がある。どの美術館だったか一瞬迷ってしまったが、東京国立博物館の平成館というところだった。
若冲と江戸絵画」という言い方はなんか変な感じがする。若冲はたしかに江戸時代の画家だが、江戸とはほとんど関係がなかったと記憶している。今回の展覧会はプライスという人のコレクションがその中身で、彼の江戸絵画のコレクションという意味なのだろう。
ところで、そうそう。昨日書こうと思って忘れていたが、若冲がブームだとか書いた記事をどこかで見た。「んなばかな」と思っていたが、BRUTUSという雑誌の表紙がなぜか若沖なのである。これもまたへんてこりんな話だ。コンビニでちらっと立読みしたら、若冲は「日本のダ・ヴィンチ」と書いてあった。それもまた違うだろうと思うのだけれど、どうせブームなんかになりゃしないから心配はしていない。
入っていきなりの一枚はなぜか芦雪の虎だった。若冲、芦雪、蕭白という京都の画家たちの自由闊達さにくらべると、江戸の画家はすこしおとなしく見えてしまう。もちろん、それだから悪いということにはならない。抱一の十二ヶ月それぞれの草花を描いた掛け軸、三十六歌仙の屏風、基一の柳に鷺の屏風などすごくよかった。「描き表装」といわれる技法とか、浮世絵の美人画など見せられると、自由闊達でないとはいえない。気持ちとしては、江戸の画家はどちらかというと細かい工夫を喜ぶところがあると思う。
しかし、これはよく言われることだが、明治以降になると一段落ちる。なんか構えているというか、澄ましているというか、臭みを感じてしまう。
今回の展覧会は、面白い工夫をしていた。屏風の展示の照明に角度をつけ、明るくしたり暗くしたりして変化をつけていた。うっとうしいと思う人もいるかもしれないが、ああいうのもあっていいとおもう。
照明はともかくとして「夏冬白鷺図」だったか全面に貼った銀箔が美しかった。銀箔で思い出すのは狩野山雪の「雪汀水禽図」であるが、あちらの銀箔は「銀焼け」を起こしている。つまり錆びているわけで、私は江戸時代の銀箔はもうみんなこうなっているものと思い込んでいた。保存のいいものもあるわけだ。古い新しいの問題かもしれないから、件の「夏冬白鷺」もやがては焼けてしまうのかもしれない。銀箔がこんな風に輝いている「雪汀水禽図」もみてみたいと思った。
若冲展を出たのはまだ二時くらい。上野には美術館がたくさんあるのだし、ついでに東京芸大大学美術館の「ルーブル展」を見に行こうとしたら、なんと炎天下に40分待ちの行列ができている。なんだ、やっぱり若冲よりルーブルのほうが人気があるんじゃないか!異教徒が世界をあさった戦利品がそんなにありがたいか。あほらしいのでスルーした。
新宿の東郷青児美術館ポップアート展をのぞいた。ウォーホールはあまりよく分からないが、ロイ・リキテンシュタインは気に入っている。展示数は少なかったがヴィック・ムニーズとかディヴィッド・ラシャベルとか知らない人の作品が見られた。面白かったが、草間弥生のほうがかっこいいかもしれない。アメリカの絵で私が好きなのはフォトリアリズムだ。
せっかく新宿西口にいるわけなのでビックカメラに立ち寄って、ソニーのα-100をさわってみた。この方向はきらいじゃない。ただ、もうちょいソニーらしさを出してほしい。
新宿からは小田急で帰った。最初は大和で相鉄に乗り換えるつもりだったが、なんか食べようと思い直して海老名まわりに変更した。今日は厚木鮎まつりの花火大会なので、海老名の駅も人でごった返していた。海老名でこれだから、厚木はすごいことになってるんだろう。店を出るころ、ちょうど花火が上がり始めた。