デュフィ

このところ寒暖差が激しくて辛い。ふだんずっと、というか、今思い出してみると、オーロンというものが日本で発売されて以来ずっと、速乾性の高機能繊維を着てきた。にもかかわらず、今日はなんとなく綿のタンクトップで出かけていた。駅のホームが暑いのに、電車の中は冷房が効きすぎで冷えてしまい、途中下車してトイレに駆け込んだ。
東京の大丸ミュージアムでデュフィ展がやっている。東京駅に隣接しているのだし、美術館でないから遅くまでやっているので、夜勤明けの土曜日でも出かけられたわけである。でも結局からだが疲れてるんですね。デュフィは一度展覧会を見逃してから、「今度来たら絶対行こう」と心に決めていた。意外に長くチャンスがなかった。
今日は絵を見ながら、あまり記憶に残さないようにした。富山と違ってこちらには美術展が多い。絵を観にいく意味が違ってくる。
村上隆の本を読んでから、自分がなぜ美術館に行くのかはちょっと考えさせられた。トイレに行くにも美術館に行くにも、そこでしかできないことをしに行くにちがいない。絵を観にいくのだが、絵を前にしてわたしがしていることは、それだけかというと、どうもそれだけではなさそうである。美術館という空間で、本物の絵を前にしないと、できないことがある。深い眠りのなかで夢を見ているような感じなのかもしれない。
今回の展覧会の半分は服地のデザイナーとしてのデュフィの紹介に占められていた。それはそれで面白かったが、これぞデュフィみたいな絵ももっとほしかった。窓の絵なんかはなんかマチスっぽすぎる。
気に入ったのは「パリのコンポジション」、赤と青の二色しか使っていない。素材は何かと思ったら油絵の具だった。油絵の具の赤と青の濃淡だけで、キャンパスでなく厚紙に地を残して描いている。センスがないと描けません。エッフェル塔を描かせたらデュフィの右に出るものはいない。
デュフィの絵には音楽を感じる。恐らく誰もが感じると思う。線と色がお互いを束縛するのをやめて、勝手にやることに決めたかわりに、画面に音楽を流しているのだろう。
この展覧会はなぜか会期が3週間もない。今月の26日で終わりだそうだ。