父親たちの星条旗

クリント・イーストウッド硫黄島を描く第一部『父親たちの星条旗』を見てきた。最近、「映画はやっぱり映画館で見るに限るな」と思うようになった。画面と音がでかいというのは、それだけで大したものなのである。
少し前に、梯久美子が書いた『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』を読んで、いささかの予備知識があったために入り込みやすかった。巨匠クリント・イーストウッドは、説明的な映像なんていれてくれないので、たぶんもっと知識があれば、さらに楽しめるのであろう。たとえば東京ローズのラジオ放送がとても効果的に使われていた。わたしはたまたまあれが東京ローズだと分かったが、小林信彦さんによるとタイムズスクエアのトリオ歌手はアンドリュース・シスターズで、本物そっくりだそうだ。
しかし、そういうディテールは全体を築き上げる小さな礎にすぎない。ストーリーの骨格は太く力強い。そういう細かな知識がなくても、迫ってくるものがあるだろう。
これがつい60年前の出来事であることには驚かざるをえないし、実はこれが現在なのではないだろうかとさえ思えた。変な言い方だが、今という時代の薄皮をひっぺがすと、これが出てくるのではないかという感じがした。
12月9日公開の『硫黄島からの手紙』は、日本側から描いた第二部だが、本編の最後に流れる予告編を見ていて終電を逃してしまった。今日も仕事だったので、レイトショーで見ていたのだ。
しかし、この戦争をアメリカ人が日本側から描くなんていうのは、並大抵のことではない。今、佐藤優大川周明の『米英東亜侵略史』を解題している本を読みかけてほっぽり出しているのだが、こういう視点も視野に入れておかないと、第一部ほどの説得力は出てこないと思う。
硫黄島には、実は、日本軍の中でも、アメリカにゆかりのある軍人が送り込まれていた。そういうやり方が日本の官僚のいやらしいところだが、栗林忠道はアメリカに留学していたし、西男爵はロサンジェルスオリンピックに馬術で出場し、たしか銀メダルを獲得したんじゃなかろうか。バロン西と呼ばれて、アメリカで尊敬もされていた。「バロン西、わたしたちはあなたを失いたくない。どうか出てきてください」と呼びかけたことも有名な逸話だ。もちろん、彼はそれに応じなかった。
いくら巨匠イーストウッドとはいえ、硫黄島を日本側から描くのは難しいのではないかと思う。ただ、クリント・イーストウッドという人は、原作を読み込む人みたいだ。日本がどうのアメリカがどうのということではなく、彼が原作に何らかの魅力を感じたとすれば、それを映画にする人だろうと思う。
クリント・イーストウッドの前作『ミリオンダラーベイビー』主演女優ヒラリー・スワンクが『ブラックダリヤ』で怪演しているうわさ。これも面白そうだ。