法然

法然 十五歳の闇 上 (角川文庫ソフィア)

法然 十五歳の闇 上 (角川文庫ソフィア)

法然 十五歳の闇 下 (角川文庫ソフィア)

法然 十五歳の闇 下 (角川文庫ソフィア)

富山に八年間暮らした理由は、長引く不景気で身動きできなくなってしまったためだが、北陸が蓮如上人以来の真宗王国であることも、そもそも富山に住むきっかけのひとつであったかもしれない。真宗門徒への信頼みたいなものがわたしの中になんとなくある。まぁ、馬券を買うときにジョッキーが真宗門徒かどうかは気にしないだろうし、株を買うときも関係ないが、住むところを決めるようなときには、なんとなく入り込んでくる要素ではある。
先日、富山に出張に行ったとき、羽田空港の本屋で、梅原猛上記の本をみつけた。ついこないだ同氏の『法然の哀しみ』上下巻を読んだばかり。矢継ぎ早にもほどがある。どうしたことかと迷ったが結局買ってしまった。
あとがきによると、『浄土仏教の思想』(全十五巻)の一冊として書き始められたそうで、その前半8章と後半の間に何年かのブランクがあり、『法然の哀しみ』のほうはそのブランクに書き上げられたものだそうだ。
したがって内容が重なっているっちゃ、重なっているが、こっちのほうがすっきりまとまっているかもしれない。むしろ、こちらのほうに法然上人の哀しみを感じた。正義を貫いて敗北する哀しみである。
わたしは各地を転々として暮らしてきた中で美作にも住んだことがある。正確に言うと英田だが、そのころバイクで法然上人が出家した菩提寺を訪ねたことがある。英田だって相当いなかだが、菩提寺になるとまったく山の中だった。法然上人の流罪を演出した慈円は、摂政九条兼実実弟で、天台の座主に四度なった比叡山の実力者。生きてきた境遇がまるで違う。
慈円の陰謀を描いた第十章、「流罪事件の真相」の筆は冴え渡っている。日本史の中でこれほどの悪役がいるだろうかと思うほどだ。仏教に興味がない人はここだけでも立読みしてみてはいかがだろうか?
慈円が匿名の著書『愚管抄』のなかで狐つきの狂女になぞらえた法然上人の思想は、おそらく日本では唯一グローバルな批判に耐えうる物だろうと思う。梅原猛法然上人を原理主義者だという。だからこそ、文化や時代が違っても説得力がある。

こういう摂関家の立場に立った国家安泰を祈る仏教を正法とする慈円からみれば、身分の違い等ということを全く考えず、ただ無知で無学な凡夫や悪人と言われても差し支えないような人間、あるいは女人をどのように救うかをひたすら考えていた法然が順魔に見えたかも知れない。しかしこの順魔の教えこそ私は摂関家という狭い枠に取り込まれていた慈円の天台仏教を根本的に破壊し、仏教をその本の釈迦の平等の慈悲に帰す仏教であったと思う。専修念仏はこの弾圧によって滅びず、ますます盛んになってゆく。そしてこの専修念仏の流行に重要な役割をしたのが慈円の弟子の親鸞であった。親鸞は『正像末和讃』の「愚禿悲歎述懐」で、天台仏教についてつぎのような感想を記している。

外儀のすがたはひとごとに
賢善精進現ぜしむ
貪瞋邪偽おほきゆへ
奸詐ももはし身にみてり
(略)
慈円は、その弟子によって告発され、復讐されたというべきであろうか。

法然上人流罪のきっかけとなった興福寺奏状の批判を見ると、かえって法然上人の革新性がよくわかる。つまり、もろもろの善行も極楽往生の行であり、念仏だけではない、とか、念仏のなかにも優劣があり、称名念仏はその劣の劣、なぜ法然は最も劣った称名のみを勧めるのか、とか。わたしにいわせれば「まさにそれ」である。

念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。しかれば則ち一切衆生をして平等に往生せしめむがために、難を捨て易を取りて、本願としたまふか。

もしそれ造像起塔をもつて本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たむ。しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。もし智慧高才をもつて本願とせば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たむ。しかも智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。もし多聞多見をもつて本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望を絶たむ。しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。もし持戒持律をもつて本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶たむ。しかも持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。自余の諸行これに准じてまさに知るべし。

梅原猛は、この言葉こそが『選択集』において法然が最も言いたかった言葉であると思う、と書いている。智慧第一、勢至菩薩の生まれ変わりと言われたキレモノの法然上人であったが、間違いなくいえることは、どんなに博識衒学であっても、法然上人は単なる学者ではなかったということである。
近代以降、歎異抄の発見などもあり、親鸞聖人は文化人に担ぎ上げられすぎた。悪いことではないが、しかし、誤解も生んだのではないか。親鸞聖人は、浄土真宗の開山上人であるが、親鸞聖人自身は、法然上人を「真宗興隆の大祖」と呼んでいる。梅原猛は、親鸞法然が遣り残し、語り残したことを成し遂げるために一生をささげたと書いているが全く賛成である。