ロシアのフォトCDが上がってきた。
5年も放置していたので、それなりに劣化していると思われる、写真もわたしも。
しかし、こうして見直してみると銀塩写真はほとんど撮っていない。フィルムの管理がめんどくさかったのだろう。デジカメもまだ過渡期だった。当時持っていったデジカメはソニーのサイバーショット、130万画素。いまでは携帯電話にも劣る。
「何でこんなの撮ったんだろう?」という写真が多いなか、今見ても納得できるのはレナ川の写真だ。レナ川をばら色に染めた夕日は美しかった。
が、実際的側面を言えば、レナ川を船で遡航しているあいだは、写真を撮る暇があったということだ。ああいう旅を写真に残そうと思えば、旅をする自分と、それを見ている自分の、二つの人格が同時に存在する必要がある。来る日も来る日もバイクで走っているなかで、景色がいいからって、停まって写真をとるなんてのはたいした精神力だと思う。停まることも、人としゃべることもかったるくなってくる。まぁ、二ヶ月程度の旅だったからだろう。
小林信彦氏が「フラガール」には「がっくりした」と書いていた。松雪泰子と蒼井優のダンスはすばらしいが、その間をつなぐエピソードが「貧乏と根性の物語」で陳腐であると。つまり「べた」だというわけか。「べた」が鼻につくのは通の証拠だろう。年に何本も映画を観ない人間にとっては、そこはそんなに苦にならない。むしろ気になったのは、軌道に乗り始めたフラガールを見送る松雪泰子の、演出家の寂しさが描かれても良かった気がするのと、トヨエツと松雪泰子はもうちょい絡んでもよさそう。つまり、わたしの場合、もっとべたにしてほしかったということだろうか。
それにしても、長澤まさみが出ているときは「映画はスターを観にいくものだと思っているので云々」言っていた小林信彦氏だが、彼女が出ていないとシナリオに厳しくなるみたいだ。