
- 作者: 小倉千加子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2007/01/01
- メディア: 文庫
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だからというわけではなく、小倉千加子の「結婚の条件」を読んだ。まず最初に言っておかなければならないことは、すっごく面白い。
「・・・何もというのは、戦後日本の女性の意識のことで、わたしは手を替え品を替えこの巨大な根っこと格闘しているのであるが、何もそんなことをしたくてしているわけではない。わたしの職業が大学教員で、職業上のクライアントがそういう方々なので、・・・」
と書いているが、こういういい意味でのプロ意識は、関西風である。今では少なくなったかもしれないが、関東では客に無愛想な店主が好まれたりしていた。関西人からするとただの奇習だが、理解できないこともない、というのは、江戸時代、上方にはほとんど武士がいなかった。貧富の差はあってもほぼ全員が庶民であった。商売人が客にサービスするのは当たり前である。ところが、江戸ではこの逆で町中武士だらけだった。客に無愛想な店主は権威に媚びを売らないと見えたらしい。状況が生んだ屈折である。明治くらいまでそれが残っているのは仕方ないとして、21世紀までまだやっているとただのバカだといわれてもしかたない。
話がそれたけれど、小倉千加子が、ともすれば堅くなりがちなテーマにサービス精神を盛り込めるのは、芸に力量があるからである。解説によると、富岡多恵子が「銭の取れる文章」と評したそうだ。喫茶店で読みながら笑ってしまった。
「JJ」が好きでもないのに「女として勝負する」という資格はない。
なんて、男には分かりにくいけど、記憶に残るし、ちょっと使って反応を見てみたくなる。
「1940年体制」なんて言葉が出てきたのにも驚いた。2003年、合計特殊出生率が低い国トップ3は、イタリア(1.15)ドイツ(1.24)日本(1.32)だったそうだ。戦争トラウマを抱いた父親たちが、娘を精神的に虐待しているということは、なんとなく実感として事実と感じられる。この本はそういう図式に現実をはめ込むようなありきたりな本ではないので、この説はほんの一面だが、わたしは結婚というのは、少なくとも日本では、いまだに戦時体制下の制度ではないかと疑っている。
本の内容と離れて「産む機械」発言を考えてみる。少子化問題で困ってるのは誰なんだろうか。結婚しない男女個々人はそれぞれの事情で結婚しないのであって、それで困る人もいれば困らない人もいる。それでもし困っていたとしても、政府が助けてくれるとは誰も期待していないだろう。少子化が進めば年金が破綻するらしいが、そもそもその破綻は社会保険庁の責任だ。
つまり、社会保険庁の役人とその族議員はこう思っているわけだ。「てめえら女が子供産まねぇから、ばれちまったじゃねぇか!」この心理が「産む機械」発言につながっている。いうまでもないが、少子化を問題視しているのは、それぞれの問題から結婚できないでいる適齢期の男女に手を差し伸べようという親切心でもなんでもない。役人と族議員のふところをどう肥やすか、そのことだけが彼らの関心事である。そのことが、あの発言から見えて来る。大臣が辞任しないのは当然だ。永田町の常識を言ったまでのことだからである。