サハリンへの旅

knockeye2007-03-19

サハリンへの旅 (講談社文芸文庫)

サハリンへの旅 (講談社文芸文庫)

大江健三郎は、この作者を「ほんとうに書くべきもの」を持っていると評したそうだ。だが、書くべきものは、同時に呪縛でもありうる。おそらくサハリンはその核心にふれている。
昭和22年(1947)に12歳で引き揚げるまで、作者はそこに住んでいた。サハリンは作者の生まれ故郷であり、ある理由で引き揚げられなかった祖父母と義姉が住んでいるが、かの地の再訪には34年の歳月を要した。
この旅の時点(1981)で、まだ40,000人の朝鮮人がサハリンにいる。作者が里帰りを果たせたのは、ソ連作家同盟の招待が得られたからで、そうででもなければ、在日朝鮮人という立場の彼には、海外渡航自体がおぼつかない状況だったそうだ。日本政府が強いているそういう不自由ははなはだしい見当違いだと思う。
安倍首相は従軍慰安婦問題についてなにかごにょごにょ言ったらしい。宮崎哲弥がプレイボーイの連載で「安倍政権は就任五ヶ月で異例の業績をあげてきたが、柳沢厚生労働大臣の『女性は子供を産む機械』発言や、郵政造反議員復党問題で支持率を下げてきた」的なことを書いていたが、実績のほうは宮崎哲弥氏も認めるとおり「小泉政権の残務」だし、従軍慰安婦問題についてのごにょごにょを聞いていると、つまりは「器」が小さいことにならないだろうか。
それはまあいい。こないだたまたま、ダウンタウンが司会の番組を見ていたら、宮崎哲弥氏が出ていた。彼の発言をひとくさり聞いた後に、松本人志が一言「しっかりしたこと言わはるなぁ」と一発でしめてしまった。テレビの枠の中では松本人志の存在感に勝てる人はまずいない。
それもまあいい。金正男は中日の中村ノリに似ていると思うが、それもまあいい。私がサハリンを旅したのは1999年。そのときでもなかなか厄介な国だった。この本を読みながら、個人的にはロシアの色々なことを思いだしていた。たとえば、ロシア人が握手するときの握力の強さとか、女性の地位の高さとか、人種差別意識のなさとかである。作者も在日よりも在サハリンの朝鮮人の方が経済的な面はともかく、恵まれているかもしれないと、感想を漏らしている。
私がサハリンでお粗末な旅をしていたとき、今思い出してみれば、二回現地の人に日本語で話しかけられたし、私の出国手続きに手助けを申し出てくれた管理官は朝鮮系の人だった。当時は何にも知らなかったし、それにロシアの不自由さに、いいかげん腹も立てていたので、ずいぶんそっけない態度をとってしまったと思う。これは私の人間としての器量の問題だ。そのうちのひとりのお年よりは朝鮮系の人だったと思う。どんな思いで私に話しかけてきたのだろうか。心を閉じていると見逃してしまうものが多い。
ところで、1981年当時、ソ連はアンドロポフ時代、北朝鮮金日成、韓国は全斗煥時代、つまり、この時代まだ韓国は軍事政権下にあった。思えば、韓国の軟着陸は賞賛に値する。