秋茄子

「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉があって、その意味は「そのころの茄子を食べ過ぎて、嫁が身体を冷やないように」という気遣いだといわれているが、わたしはそうは思わない。
じゃあ聞くけど、茄子で身体が冷えるのは嫁だけか?みんな冷えるんだろ?じゃあ「あなたの健康のため秋茄子の食べ過ぎに注意しましょう」でいいじゃないか。
過去において、そういう差別が存在したことを、いまさら否定しても仕方ない。つい最近までそんなもんだったし、記憶に残っているひともいるはずである。
それを何とか理屈をこねて美化しようとする人たちがいるみたい。ちょっと滑稽だと思う。
「狭義の意味での強制性」みたいなことを言っても、強制された側から言えば、狭義も広義も関係ないのである。
安倍という人は身内にA級戦犯がいるためだろうか、一般人とずいぶん感覚が違う。とにかくやたらに身内をかばう総理大臣として記憶に残るのかもしれない。
A級戦犯合祀に関する昭和天皇の考えがどんどん明らかにされてきているが、こんなことはしかし、行動がすべてを物語っている。言わなくても分かる人には言う必要はないし、言わなきゃ分からない人は、たいがい、言っても分からない。
原爆についての米政府の見解とか、いろいろあるけど、政府なんてものは、どこの国でもそうだろうが、ないと不便だからあるだけで、そんなものの見解なんて、気に懸ける必要はない。
「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉を聞いたら、「むかしの秋茄子はずいぶん旨かったんだろうな」と思えばいいだけのことである。