フォーク世代

阿川佐和子笑福亭鶴瓶の対談。「家族に乾杯」にふれて

阿川 私も一度出させてもらいましたけど、ほんとに段取りも何もなくて、私が気になる家に行って話をしてくださいって言われるだけ。怖かったですよ。面白くなるかどうかわかんないから。
鶴瓶 いや、スタッフが面白いことを期待する気持ちがすごく強いから、僕は「そんなこと思うな!」と怒ったんです。「何にもないことが面白いんや、ずーっとそこで生活してて、あ、こういう家族もあるんだって放送できるとこがいいんや」って。
(略)
鶴瓶 そういうこの番組のよさをわかって、出てくれた人を一人も傷つけずに丁寧に編集することがすごく大事。「痛みを持って編集せい。上辺の笑いだけですましたらあかへんで」と言って、だんだんようなりましたね。

鶴瓶はここのところ、古典落語に熱心なのだけれど、こういう話を聞くと、やはり本業はテレビだと思う。昨今の落語ブームの仕掛けは小朝であったそうだ。志ん朝吉朝も死んだ後で落語ブームといわれても少し空々しいが、思い返せば、わたしは米朝、枝雀、志ん朝吉朝、すべて生で聴いたことがある。当時はなんとも思わなかったが、これは仕合せなことであった。
鶴瓶はフォーク出身で、上記の発言もわたしにはフォーク世代の感性に思える。最近はフォークもブームだと言うが、(?)というところ。週刊文春の盆休み号に特集されていた懐かしいフォークシンガーの、言うことがてんでばらばらで面白かった。高石友也がいうには「69年に安田講堂が落ちてフォークは終った。あれは個人が何かにぶつかっていく最後で、その後はみんな集団で動くようになった」のだそうだが、どうも私にはそう見えない。リアルに経験していないので、何もいえないのだが、むしろ
「昔は今より社会からの圧力のようなものがなかった。少し前の時代のような闘争はなかったけど、でも言うことも聞かないよという時代なんですよ。」
と、りりぃのいっていることのほうがしっくりくる。それは、私が覚えている70年代の雰囲気だ。(りりぃは『蟲師』にでてましたね)
いまだに「全共闘世代」を自称しているその前の世代が、ほんとうに個人主義であったかどうかは疑問がのこる。そういう帰属意識と上の高石友也の発言がどうもうまく結びつかない。
「懐かしの」という冠をつけられると、「ずっとやってるこっちは迷惑だ」というなぎら健壱はごもっとも。高石友也も「ずっと個人でやってきているから、そっちのノスタルジーにはいけない」という。「そっち」とは、つま恋復活コンサートのこと。私がものごころついたころ、高石友也は福井の名田庄村に住んでいた。ナターシャセブンの時代である。フォークブームとかいわれる前、といっても二三年前のテレビでそのころのことを語っていた。「悠々自適とかじゃないですよ。世間が正しいのか、おれが正しいのかという毎日が勝負なので」と言う言葉が印象に残った。というか、実を言うと、そのテレビを見るまで、高石友也を意識したことがなかった。踏みとどまる勇気なのか、踏み出さない怠惰なのか、判断がつかないでいたのだが、なるほどそういう戦いかと思った。
「僕が最初にフォークを始めたころなんて誰も見てないんです。評論家も見てないから後から嘘ばっかり言ってる。かっこいいですよ、なんせ僕は"伝説"ですから。(笑)」
そのころの映像も見た。ステージにヘルメットとタオルのマスクの男たちが上がってきて黙っている。
「俺は歌で表現したいんだよ」と憤っている高石の姿が印象的だった。だから、高石は「個人で何かにぶつかって」いたのだろう。だが、その世代の大部分は、時代の雰囲気に乗っていただけだろう。そういう輩が後から誰かを伝説にまつりあげるんだと思う。