アンケート

性幻想―ベッドの中の戦場へ (中公文庫)

性幻想―ベッドの中の戦場へ (中公文庫)

河野喜代美の『性幻想』は名著だと思っているが、中に印象的なアンケートがあった。
あなたは、定員2名のボートに乗っている。母と妻が溺れて助けを求めている。さて、「あなたならどちらを助けますか」
欧米の男性と日本の男性とでは答えに大きな違いが出るそうだ。
今、日本人は何のために結婚しているのだろう?つまり、日本の結婚制度は何のためにあるのだろう。
無意識に結婚している人は別にして、意識的に結婚を選んだ人たちの、その意識の中では結婚とは何かということだが、すくなくとも戦前までは、結婚は家の存続のための新陳代謝であった。他家の娘が嫁に来て、自家の嫁は姑にひっこむ。そうやって日本人のコロニーは世代交代してきたわけである。多分、稲作農家のライフスタイルがこの発想のもとなのだろうと思う。行かないから知らないけれど、今でも結婚式は○○家と○○家の式として執り行われているのではないだろうか。
いうまでもなく、今の私たちの生活は農家のそれとはかけ離れている。生活が変われば意識も変わる。マンション住まいのサラリーマンとOLが○○家もないものである。いまどき苗字の下に「家」をつけて違和感を感じないのは、よほどのセレブか中川家くらいだろう。
それなのに結婚のときにだけ、いきなり島崎藤村の時代に引きずり戻される。始末の悪いことに社会の制度をいじっている連中は戦前から生活様式が変わらない、二世,三世の連中がほとんどなので、実態の変化に気がつかない。阿部家の人は一瞬「美しい国」が見えたらしい。実情に目をそむけているからそういう幻覚を見るのだ。
アンケートだけれど、欧米男性の場合はほとんどが「妻」と答えるそうだ。理由を聞くと「母には父がいる(またはいた)から」。多分、欧米人にとっては結婚は巣立ちなのだろう。夫婦が単位となって世代が引き継がれる。妻をほっといて母を助けていたのでは、社会的コンセンサスがえられない、倒錯である。
日本の男性は母と答える人が多かった。または、「自分が溺れて母と妻を助ける」という人もいたらしいが、あくまでただのアンケートなので、それでは答えから逃げているにすぎない。実際にそういう事態になったら、定員二名でも三人乗るだろっていう話である。
しかし、結婚制度の違いはあるにせよ、世代交代の装置としてそれがちゃんと機能していれば、夫は妻を助けるのが当然のような気がする。それとも、妻は取替え可能ということだろうか。言い換えれば、「家」といってきたものの実体は「母」だということだろうか。となると、結婚は「母」の存続のためということになる。ちょっと蟻のコロニーに似ている。
こういうことを今書いているのは、先日の『サッドヴァケィション』に刺激されたからだ。中国マフィアが「日本の母親ダメ、父親もっとダメ」というシーンがある。国は違えど、やくざの口はいいことを言う。言ったとおりに行なっていれば、やくざにはならなかったろう。