シュールレアリズム

knockeye2007-11-24

シュールレアリズムを見に来ている女性には美人が多い。気のせいか。あるいは、ただ、おばさん率が低いだけかもしれない。
シュールレアリズムを見ることは、他人の夜の夢を覗き見るようなものだ。一つ一つのイメージは具体的だが、現実にはありえない。だのに、実感はひどく生々しい。
京都に住んでいるころの夢で、今でも憶えているけれど、堀川丸太町あたりを小走りで歩いている。少し遠くのホテルの窓明かりがひとつ、ひどく気になっている。実は、今そこで人を殺してきたところで、何食わぬ顔をしなければならないのだけれど、内心気絶しそうなほどどきどきしている。そこへ向こうから合いたくない知り合いが歩いてきた。という夢である。
殺した相手も、歩いてきた知り合いも見当がつかないが、そのどきどき感と、遠くのホテルの窓が気になって仕方ない生々しさだけは、目がさめても残っていた。
今回始めてみた画家はイヴ・タンギー。名前だけは知っていたが、悪夢の残夢感みたいな絵で、わたしは好き。それと、ロベルト・マッタ。
それと、ハンス・アルプは、今回初めて「いいな」と思った。
マックス・エルンストの立体作品もあって、シュールレアリズムかどうか疑問だが、これもよかった。
シュールレアリズムの一番分かりやすいアプローチは、イメージの意味の解体ということだろう。もののイメージが意味の束縛から解放されて、いきいきとしている。
森村泰昌の作品も何点かあった。少し前に、やはり横浜美術館でやっていた展覧会を見逃したのは実に残念だった。
美術館を出ると、そんなに遅くもないのに、月が冴えていて寒い。冬晴れの一日だった。よく晴れる関東の冬が私は好きだ。
モンベルのアウトレットでダウンベストを買った。ランドクルーザージャケットのダークカーキが気に入ったので、買おうと思ったけれどサイズがなかった。冬の寒さはバイク心を誘う。