『転々』再考

映画『転々』のほかの人のレビューを読んで刺激を受けたので、私ももう少し書いてみる。
なんといっても、最初のテンポの悪さは意見の一致するところであろう。と、同時に小泉今日子が登場してからのテンポのよさも誰もが認めるところだと思うのだ。そこから前半部分を振り返ると、「なるほどね」というところはある。
岸部一徳の使い方は絶妙だったと思う。だから、パチンコ屋のシーンははずせない。だけど、ダルマと天狗の鼻はいらないんじゃないの?余計なお世話か。
オダギリジョーが、一度過去に関係しかけた人妻が実は三浦友和の奥さんなんじゃないかと疑うシーンは、平板になりそうな二人の関係に緊張感を持たせている。
広田レオナが、三浦友和を「田中さん」と呼ぶシーンも同じ効果があるし、(三浦友和の役名は「福原」である。だから、ここで「今までの話はもしかしたら全部嘘?」という緊張が、オダギリジョーにも、観客にも生まれる)後の小泉今日子の登場の伏線であるわけだからここもはずせない。その後二人がはぐれて再会した後、人妻のエピソードになる。このあたりの親密さの揺らぎはいい感じなんだけど、その後の時計屋のエピソードが不自然かつ冗長なんだよね。
シーンとシーンをつなぐエピソードに大胆になりきれなかったということなんだろうか。岩松了ふせえり松重豊の三人組のシーンも後になるほどよくて、最初はもたつく。この映画に三つのパラレルワールドがあるとして、私たちが住んでいる現実世界は、実はこの三人組の世界。三浦友和オダギリジョーが歩いている世界は、その現実の歯車が少し狂ってしまって取り返しのつかない破局へむかっている道行きの世界。小泉今日子の世界は、もしかしたらありえたかもしれないユートピアである。
小泉今日子の世界が途中からしか登場しないのは当然だが、たとえば、広田レオナのエピソードの時点でそれが少し予言されていてもよさそうなものである。また、その世界が登場するまでは、あの三人組の世界と、二人の道行きの世界はもっと対比的に描かれて良さそうに思う。だからこの二つの世界を結ぶもう一つの世界、三浦友和の奥さんの世界が、もう少し丹念に描かれても良かったのではないか。奥さんが一人でバスを降りるエピソードが印象的なだけにもったいなかった気もする。